天寿しの握りには、ドラマがある。
生命の複雑さを物語る、ドラマがある。
鯛の肝をかまして握られた鯛は、鯛の爽やかな香りがきて、鴨頭ネギやもみじおろしのアクセントがあり、少し遅れてねっとりと肝が流れてくる。
その途端、鯛は艶を帯びて酢飯と抱き合い、舌をコーフンさせるのである。
アジは、まずアジ自体の青臭いような香りがほんのり漂った後に、生姜とゴマの香りが追いかける。そこに醤油パウダーの甘い香りが加わって、アジの脂と混じり合い、うま味をそっと膨らます。
マグロ節でとった出汁で漬けたという中トロのづけは、口に入れると、舌と同化するように消えていく。
中トロの脂と酸味に、出汁のうま味と燻したような香りが絡み合い、色香が醸して、どきりとさせる。
そうして心を弄びながら、ゆっくりと消えていく。
昆布〆したキスを炙った握りは、柚子胡椒がかまされ、糸に切った昆布がのせられる。
キスに柚子胡椒は強すぎるかと思った瞬間、柚子の香りで淡い甘みが際立つ。
赤ウニは、甘みの奥底に味のコクがある。
だがコクの影に、命の脆さを感じるはかなさがあって、それがどうにも切なく、愛おしくなる。
間違いなくそれは色気で、溌剌たる有明海苔の香りに揉まれながら、官能を誘惑するのだった。
梅干しのピュレがほんの少し乗せられたタチウオは、その上品な甘さを酸味で引き立てる。
煮切り引かない、すだちを搾る、塩をふるということだけではない、巧みに計算された、小倉「天寿し」の天野流17貫。
「カンテサンス」で、アナゴの新しい煮方を思いつき、「カハラ」でしょうゆパウダーとアジの出会いを考えつく。
こうして先代から伝わった仕事に、新しい仕事を加えてきた。
「でももう新しい仕事はしません。前に来たお客さまが半年後、一年後に来ていただいて、違う寿司だと期待を外すことになってしまう。だから今ある寿司の仕事の質を高めていくことだけを考えています。」
これはご病気をされてから、考え方を変えられたのだという。でもそのあとに
「と言いながらも、また変わるかもしれませんね」と、笑われた。
楽しくも嬉しくもあり、明日をのぞきみたいすしである。
天寿しの握りには
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