音楽を自然に解放する。

日記 ,

木々が空へと背を伸ばす原っぱに、高価な音響装置を設定し、レコードをかける。
プロのサウンドエンジニアが、音を作る。
音楽を、レコードを聴く環境として、こんな贅沢なことはあろうか。
軽井沢の青空の下、澄んだ空気の中で行われた、2回目の音楽鑑賞会である。
20人の人たちが、銘々好きな曲を一曲ずつかけた。
僕が去年、1回目にかけたのが、「オーティスクレイライブインジャパン」だった。
感情やメッセージの伝達手段として生まれた音楽の原初を感じた瞬間を、大勢と共感したかったからである。
そして今回は、「クリムゾンキングの宮殿」から「エピタフ」をかけた。
1969年10月10日に発売されたアルバムである。
僕は中学三年生だった。
当時、ネットやFMもない時代に、海外の音楽を知る術は、活字しかなかった。
つまりシングルヒットがないアルバムを聴く時は、音の事前情報が一切ない。
このアルバムに針を落とした瞬間、腰を抜かし、失禁しそうなほど驚いた人は、数多くいるだろう。
しかも中学3年である。
「20世紀の精神異常者」で殴打された感情は、「風に吹かれて」で鎮静化され、やがて「エピタフ」の壮大なドラマに包まれて、涙する。
それはもう、B面に返す力も抜けてしまうほどの衝撃だった。
この曲を、空に向かって解き放ちたい。
そう思ったのが、この曲を選んだ理由だである。
「明日を忘れ、私は泣き叫ぶ。私の墓には、混乱という字が刻まれるだろう」。
ベトナム戦争の泥沼化、安田講堂をはじめとした世界中での学生運動、闘争、ウッドストック、人類初の月面着陸という、明日への不安と希望がないまぜになっていた1969年の世情を表した詩に、コロナやウクライナ戦争などを予言し、学ばない人類へ警鐘を鳴らす。
野外で聴く音量には、ストレスが一切ない。
バスドラは、音圧でなくクリアーな本質を鳴らしてら体の芯を揺らす。
シンバルはスピーカーの外へ並行に広がり、メロトロンの幻想は空へと高く舞い上がり、グレッグレイクの声は、僕らの心を温かく抱きしめる。
悲哀が感情を昂らせ、静かな美に明日を見る。
スタジオの中で作られた音は、命を吹き込まれて、木や風、草や空と同化していくようだった。
隣で目を閉じながら聞かれていた、白髪の老婦人は、曲が終わって語りかけられた。
「どうもありがとうございました。素晴らしい歌ですね。感動いたしました。いい曲を聞かせていただき、本当にありがとうございました」。
スピーカー
Hibox Taguchi FB812
Midbox Taguchi FL2002
Subbox Taguchi FL3001