青森市には、東と西の横綱がいる。
青森県人が愛してやまないソース焼きそばの店である。
「東の横綱」と呼ばれるのは昭和39年創業の青森市茶屋町「後藤食堂」、「西の横綱」は「やきそば 鈴木」である。
なぜ東、西と呼ばれるかというと、ソース焼きそばの発祥に起因する。
青森のソース焼きそば文化の発祥は、市の中心部を流れる堤川沿いに終戦直後から昭和30年代中頃までにあった屋台とされ、この堤川の両側に古くからある「後藤」と「鈴木」を、東西の横綱と呼んで愛し続けているのだという。
「後藤食堂」では「卵焼きそば並」400円を頼んでみた。
巧みな手つきで作るお母さんは、上品なお顔立ちをされている方である。
所作もきれいで、お花のお師匠さんと言われても違和感がない、品が漂っている。
ここでは中華鍋を使い、ラード、肉、キャベツ、麺といき、再びソース、うま味調味料、前に作っておいた麺にキャベツを加えて炒めていく。
見ていると、大盛り8人前を、難なく一気に作り上げている。
「見事な手つきですね」というと、「3回腱鞘炎をやって、今は治りました」と笑われた。
面白いのは2回に分けて入れるキャベツで、しんなりとシャキッの両方の魅力を味わってもらおうという配慮だろう。
また、前に作った焼きそばと新しい焼きそばを混ぜる点もユニークで、よく見ると濃く味がしみた麺と、今ソースをまとったばかりの麺という2色の麺が混ざっている。
味わいはソースの味がストレートに出たテキ屋風で、「小鹿ヤキそば店」と同じ原田製麺製だが、こちらは中細麺で、ネチッとした食感がクセになる。
途中から目玉焼きの黄身をつぶして混ぜると、味がまろやかになって楽しい。
さらに卵の上に追いソースをかけて、それを混ぜ込んでもいい。
55年間やられているが、最初は他店を食べ歩いて研究したという。
そして、なんと20年間値段据え置きだそうだが、「昔は大盛りの多めは無料だったけど、今はいただくようになりました」と、申し訳なさそうにお母さんが言われた。
こういうところも、青森県人に愛される所以なのだろう。
今は息子さんも一緒にやられている。
そこで息子さんが作った焼きそばをいただいてみた。
お母さんのそれは、ソースの香りと味が立ち上がってくる感じで、息子さんのそれは、ソース風味が丸い。息子は息子の味である。
同じ素材と調味料でも、人によって味が違う。
これもまた、ソース焼きそばの深さだろう。
お母さんは達筆で、店には品書きを書いた短冊が貼られている。
ソースと客の愛着が染み混んだ達筆な品書きにも、惚れました。