唐辛子

食べ歩き ,

夏がくると、唐辛子がないと生きていけない体になっていることを、実感する。

辛い料理はもちろんのこと、焼肉、味噌汁、炒めもの、ラーメン、炒飯、納豆、煮込み料理、冷やし中華、各種タレ、サラダにいたるまで辛味を足したくなる。暴走したい自分を、解放してやりたくなる。

当然辛味は持参である。バックの中には、韓国産コチュカル(唐辛子粉)と黒七味のミニパック。それに最近お気に入りの日本版タバスコ、飛騨のうま辛王を忍ばせている。

ズービン・メータは、自宅の庭で栽培した三種の唐辛子を、マッチ箱に入れて持ち歩き、インド料理屋だろうが高級レストランだろうが、必ず用いたという。ぼくにはそこまでの根性はないが、お前もいつかやってみろと、内なる狂暴がいつも誘いかけている。

冷蔵庫には、辣油やタバスコはもちろん、タバスコHOT×2、銀座「趙楊」製豆板醤、かんずり、コチュジャン、タイのソープカオ、コーレグース、サンバル、桂林椒醤、富士食品のoh!HoT、アフターデスソース(名前がいいネ)、チリペースト、アリッサ、うま辛王、それにハバネロ、パラボタナス、チレ・チポトレのメキシカンホットソース三兄弟と万全である。

乾燥唐辛子も鷹の爪、韓国産の大きくて香りよく甘みのある品種、イタリア産の丸くて小さい品種の三種類。メキシコ産ムラートやアルポルは品切れ中。ハラペーニョやタイ産プリッキーヌーの酢漬けびん詰は欠かせず、冷凍庫には最近、ペルツォフカと共に、筋の通った辛さに襟を正される、大分県柚子太郎の赤鬼が加わった。

こんな体質になったのは、間違いなく、大学一年のデート事件がきっかけだ。二人で出かけた湯島の「デリー」で、虚勢を張り、一番辛いカシミールを頼んだのである。

「なにこれ、すごぉく辛い。とても食べられないわ。大丈夫なの」

彼女は、僕のスプーンにほんの少量のせたこげ茶色のカレーを食べて、目を瞬かせた。 「いや平気。ちょっと辛いけどね」。

ご存じ、カシミールの辛さは一級である。しかもソースに粘度がなく、スープ状態であるから、口腔にまんべんなく辛さがいきわたる。かけた瞬間にご飯に染みるので、白いご飯で舌を癒すこともできない。

汗が吹き出た。涙が出た。鼻水が出た。止まらない。頭は噴火活動が始まり、口から溶岩が流れ出る。それでも僕は悠然として、

「れんれん、ふぇいき、ほら完食」。と、倍に腫れた唇で笑ってみせた。

彼女と別れてすぐ喫茶店に入り、気絶した。辛さに耐えることは男の意地なのである。

遠のく意識の中で、「これでは終われない」と誓った。登頂を果たせなかった登山家の如く、絶対カシミールを制圧するゾという強い闘志が、めらめら沸き上がったのである。

以来毎週訪れてはカシミールを食べた。四回目だろうか、辛さの向こうに突然うまみを感じたのである。複雑に絡みあった香りがひもとかれ、溶け合った滋味が胸に迫ってくる。悟りを開くとは、まさにこういうことかと誇大解釈し、一人涙した。デリー店主の思うツボである。

ツボにはまると抜け出せない。その後銀座デリーでは、ウィスキーのボトルをキープするまで常連化し、カシミールを三倍辛くして食べる暴挙へと走っていった。

教訓その一、「辛味魔力からは、抜け出せない」。その二、「辛さの許容度、耐性は進化する」。その三、「辛さに強くなると人に自慢したくなる」。

辛さへの耐性を得ると、同志を得たくなり、「民料研」なる会を発足した。民族料理研究会の略で、七十年代後半、やがて迎えるエスニックブームを前に、都内各地に民族料理店が増殖しつつあった時代である。

スローガンは、「うまい、安い、辛い」。 代々木「アンコールワット」の生牛肉サラダの辛さに腰を抜かし、目黒「せでるはな」ではレンダン(牛肉の唐辛子炒め)の試練を受け、九段「アジャンタ」(現在は麹町)のキーマピラフにマトンカレーをかける技にはまり、新橋「インドネシアラヤ」のダギン(牛肉のスパイス煮)で快哉を叫び、大崎「ペチャラット」のナム・プリック・オーン(豚挽き肉の炒め)で発奮し、日比谷「チェンマイ」のグリーンカレーで顔を真っ赤に染め、御徒町「モティ・マハール」のカレーの虜となり、「秘苑」ののケジャン(渡蟹の辛味漬)で我を忘れ、目黒の「メコン川」のカピと豚肉の炒めで失神し、渋谷「オスン」のモコペッパースープを飲んで意識を失い、虚空へと旅立った(残念ながら、モティ・マハール以下は閉店)。

民料研のベース基地は、いまはなき中目黒の「チャンタナ」というタイ料理店である。。女主人が年に数回タイに出かけ、ハーブ類や各種唐辛子プリックをこっそり持ち帰るとき、我々はここぞとばかり集結したのである。

辛さで精神を開放し、酔った。タイウィスキーで辛さを増幅し、同時に白いご飯で緩和するという、妙な食べ方に恍惚を覚えた。

そのころ常連の若い日本人女性で、ナンプラー漬けのプリッキー・ヌーをかじりながら、白いご飯を食べるという猛者に出会った。

負けるものかと試してみたが、二口目で舌が制御不能となって開いたままとなり、犬の如くあえぎながら胃袋から噴出する炎がおさまらず、朦朧とした頭で、ごめんなさいとハシをおいた。

辛味指向者は、自分の耐性限界を超えるものに出会っても耐え忍び、先に広がる未知の世界に望みをつなぐのだが、こいつは限度を超えていた。初心者がいきなり団鬼六の洗礼を受けた辱めがあって、頭が混乱した。