その周辺だけ、空気が締まっている。
三つ揃いのスーツを着た老紳士が、ビーフシチューを肴に、赤ワインを飲んでいた。
背筋を伸ばし、小さなグラスに入れた赤ワインを、ゆっくり口に運んでは、目を細める。
今から45年前、母と連れ立った「こだま」の食堂車で、たまたま相席となったのが、先の紳士だった。
周囲はビールや日本酒にウィスキー。
ワインは珍しく、持ち込んだのかもしれないが、僕は毎日こうですよという自然さで、泰然自若としている。
小学生だった私の目に、憧憬として焼きつき、こういう大人になりたい。
早くワインというものを飲んでみたいと、痛切に思った。
それから45年。ワイン歴30数年。飲み始めた頃は、良く失敗をした。
グラスを勢いよく回しすぎて、こぼしたこと数知れず。
鼻をグラスに突っ込んで香りをかぐ仕草に憧れたが、どんなに嗅いでもわからない。
そこで勢いよく鼻に空気を入れると、香りではなく、ワインそのものを吸い込んでしまったこと。
すかさず、「珍しい飲まれ方をしますね」と、人生の先達から指摘されたこと。
友人宅で飲み過ぎて、リーデルのグラスを割り、「気にしないで」という友人の目が、悲しそうだった時。
片や、楽しき思い出も数多い。
サン・セバスチャンで、昼日中から浴びるように飲んだチャコリ。リスボン沖の島の食堂で、渇いたのどを癒した、イワシの塩焼きを肴に飲んだ、ヴィーニョ・ヴェルデ。
学生時代、初めて訪れたパリのビストロ「ティヴルス」で、恐る恐る頼んだ赤ワインの滑らかな味わい。
パリの「グランヴェフェール」で、最も値段の安いシャブリを選んだら、「パーフェクトチョイス」とソムリエから言われ、顔が真っ赤になったこと。
ドイツのバード・ラスフェにあるJAGDHOFホテルの朝食で、シャンパンが飲み放題ゆえに、朝からドイツ人観光客とへべれけに酔ったこと。
ロマネコンティやペトリュウスなど、数々の名ワインを体験させてくれた門前仲町「シャテール」で、生まれ年55年のクロ・ヴージョを飲んだ夜。
針のような風が大地を痛めつけていた函館の夜、バル「ラ・コンチャで」で、カジョスを肴に飲んだ、ナバラの赤ワイン。
一週間ビリーザブートキャンプを続けた自分へのご褒美に飲んだ、ジュブレイ・シャンベルタン。
池尻の「パーレンテッシ」で、天然水のように、体の細胞に沁み込んでいった、LUNAR。
若くして亡くなった同級生シェフが、夜更けに「これうまいぜと」差し出した、カヴァの味わい。
色々書いたが、大半はワインの名前を正確に覚えていない。
しかしその場に誰がいて、どんな話をして、どんな笑顔を交わしたかは、明確に覚えている。
それは、ほかの酒にはない効果のように思う。
人と人の溝を深め、一期一会の記憶を深く刻む。
ワインとはそういう飲み物なのかもしれない。
食堂車の紳士が凛としていたのは、ワインを飲む姿ではなく、彼がワインを通じて育んできた、人間性なのかもしれない。
紳士と同じ年ごろにさしかかった私は、彼の領域に達していないことを自覚し、まだトホホの状態を、痛切に反省する。
要は、人生におけるワインの量が、まだ足りないのだな。