ソバが入った。
爪の間に入った。
まな板にこびりついた乾燥したソバを、はがそうとしたら、どういうわけか爪に侵入した。
当然ながら、激痛である。
ささくれた木の枝や棘が刺さった人は知っているが、よりによってソバが刺さるとは、私らしい。
キーボードは、なんとか打てる。
だが、ジンジンと痛くて、思考が定まらない。
一文字も書き進めない。
困る。
私はたくさんの原稿を抱えているのである。
これではいけないと、緊急病院に電話した。
しかし電話口では、理解され難いようだった。
「どうしました?」
「手の爪に異物が刺さって痛いです」。
「はいわかりました。先生に聞いてみます」。数分後
「先生が、何が刺さったのか教えてくださいとのことです」。
「乾麺です」。
「は?」
「乾麺です」。
「カメですか?」
「いやソバです。あのツルツルッと食べるソバの乾いた奴」。
「ああ、ソバが足に刺さった」。
「いやですから、ソバが手の指の爪に」
「手にソバですね。わかりました」。
教訓を得た。
やはりソバは一般的に、手繰るものであって、刺さるものではない。
「取り扱いをお間違いになられますと、爪と指の間に刺さりますので、慎重にお取扱いください」と、乾麺の袋には記されることは、永遠にない。
病院で看護婦さんに指を見せたら、「痛そう」と顔をしかめた。
関係ないが、その困った顔が可愛い。
こう思うのは、まだ余裕があるせいか、スケベなせいか。
若い医師が聞く。
「そばは、どういう状態で刺さったのですか?」
聞きたいか? 君。あまり処置には関係ないと思うが。
「あのまな板に昨日のそばがこびりついているのを発見しまして、それを爪ではがそうとしたら、激痛が走りました」。
「それで入ったんですね」。
「いや入ったというか、刺さったというか。ほらここにソバがいるでしょ」
「ああ一直線にいますね」
「一応レントゲンを撮りましょう」
は? 見えているのにレントゲンを撮る必要があるのか?
レントゲンで写るのか?
結果、案の定レントゲンには写っていない。
しかし彼は強引に結論を下した。
「それでは麻酔して、少し爪を剥してとります。引っ張ります」
「爪を剥がして」という発言で、気が遠くなりそうになるが、なんとか平静をよそって、
「あのぉ~棘と違ってもろいですし、爪下の血流とかに触れて、ふやけていたらとれないですよね」。
「とりあえず引っ張り出します。後はそれから考えましょう」。
とっとと、終わらせたいのだ。
その気持ちは、わかる。
あろうことか、平穏な日曜日の昼下がりに、ソバを指に刺した変態患者がいるのだから。
おそらく症例は、今まで一件もないだろう。
不安。
指の根元に注射を打つ。
ああっ、痛いが、想像したほどではない。
ふだんの積極的な飲酒生活が功を奏し、麻酔が効かず、二本も打つことになったが。
なにやらゴソゴソやっている風。
「ソバありますか?」
「ああ、これ細いですね、素麺でなくソバですよね」。
「ですからソバです」。
「ああソバ見えてきました。あれ?」
「どうしました?」
「ちょっとひっぱりましたが、その下がない」。
「いや爪の上からは確かに」。
「ソバ見えません」。
この先生は今後も多くの施術をするだろう。
しかし僕は確信する。
今後一生、二度と言うことはないだろう。
「ソバ見えません」とは。
こうして処置を終え、この包帯グルグルである。
原稿が打てるのかどうか、試しに今これを書いている(その前に書けよ)。
左クリックは不便だが、文字は問題ない。
「ジンジンしたら手を心臓より上げてください」と、先生は言った。
時折右人差し指を高く上げるので、サタデーナイトフィーバーのトラボルタと間違われないか、ドキドキである(古い)。
しかし中指でなくてよかった。ケンカを売っちゃうもんね。
人差し指が使えないと不便である。
カメラのシャッターが押しづらい。
ペンが書きづらく、普段から判読不能な文字に、アート性が増す。
包丁が持ちづらい。
んん。それくらいかと思ってはっと気が付いた。
箸がうまく持てん。
さらにすしが食べづらい。
今週の予定を見ると、和食が三軒、寿司屋が一軒、中華が入っているではないか。
それらはなんとか乗り切ろう。
それより箸がうまく持てなくて困るのは、麺類である。
これでは、ソバに恨みを返せない。