カツ丼はいま、不遇の時代を迎えている。
かつてもてはやされた重厚感が、軽さやヘルシー度を求める時代と逆行しているからだ。
しかしだれがなんといおうと、カツ丼は丼界の横綱である。
カツ丼には、「カツ丼でも食べようか」という「デモ的発想」は一切なく、「ヨシ、カツ丼食べちゃうもんね」と、「ヨシ的決意」が伴う。
こんな丼はほかにはない。
つまり食べ手を発奮させ、同時に食べ手の度量(食欲)が試される丼なのである。
僕が思うに、カツ丼の理想形には三つの要素が欠かせない。
第一に揚げたてであること。
揚げたては、ラードの香りで胃袋をくすぐる。次に玉子がかかっていない端のカツを口に運べば、ダシの染みた衣はまだサクッと音を立て、しっとりとした肉に歯がめり込んでいく。
思わずにやり。すかさずご飯を掻き込めば、「カツ丼だカツ丼だ」というドパーミンが体を駆け巡る。
まさに揚げたてならではの快感である。
第二に、肉は薄いほうがいい。
カツが厚いと食べづらい。
薄いほうがご飯や玉子と一体化して、丼ならではのおいしさが掻き込める。
できれば肉は、厚さ3センチほどが好ましい。
第三に、丼は蓋つきであること。
一瞬蒸らして味がなじむことと、ふたを開ける行為は発奮度を高める効果がある。
以上、「薄くて、揚げたて、蓋閉めて」の「三て主義」が僕のカツ丼の理想である。
残念ながら、蓋つきは消えていく傾向にあるので、最近は、「白身ふっくらカツ抱いて」に趣旨替えしようかと考えている。
理想に近い店としては、銀座「とんき」、西荻窪「坂本屋」、銀座「梅林」がおすすめである。
さあ、カツ丼は選んだ。あとはおいしく食べる術を生かして望もう。
丼が出されたら、煥発入れずに片手で持ち、最初の三口は脇目も振らずに掻き込む。
一息ついたら、丼の底に意識を集中させ、一気呵成に終盤まで駆け抜ける。
その間、はがれた衣を修繕し、衣の切れ端やタマネギでもご飯を楽しみ、掘削したご飯の断面から、ダシの染み込み具合を確認することも忘れてはならない。
背筋はすっと伸ばし、隣の客の邪魔にならない程度にひじを張ると姿がいい。
もちろん終止無言だ。
カツ丼の似合う男はカッコイイ。
目ざすは、「幸せの黄色いハンカチ」における務所帰りの高倉健である。
そんな男になるべく、ぼくは日々カツ丼を食べ、男を磨いている。