圧巻は、サワラであった。
中心部を半生に仕上げた、見事な厚さのサワラは、刺身でいただく時の、色気を伴った品のある香りを持ちながら、火を通したサワラから生まれる穏やかな甘みがある。
そこには、紳士の隠された欲を扇情させる香りを微かに放つ貴婦人が、暖かい母親的包容力を見せた時のような、たまらないアンビバレントな魅力があって、一口で惚れてしまう。
「惚れてはいけないのよ」と言いながら、誘惑するのであった。
僕はぼうっとして、宙を見つめながら、そっと頬を赤らめた。
そして「ふうっ」と、息を吐き、現実に戻るのである。
さらに他の魚も野菜も素晴らしかったが、、今日は特別に新保さんが肉を仕入れてくれた。
「カイノミ」である。
志村さんの仕事ぶりを考え、熟成させずに少し水分を抜いて近江牛のカイノミを、送ったのだという。
志村さんはそれを細切りと厚切りにして、2種類の天ぷらに仕立ててくれた。
細切りは、カイノミの内臓感が滲み出る味である。
そして厚切りが、なんとも素晴らしかった。
ヒレ肉と内臓の両者の魅力を持ったこの部位の、くりっとした食感や複雑な香りが見事に閉じ込められ、生かされ、噛むたびに感嘆の嗚咽が漏れる。
聞けば、わざと開店間際のギリギリに送って、試行錯誤する間を与えなかったという。おそらくこの部位も、肉などあげたことのないだろう志村さんは、感性だけで完璧に生かしきっていた。
肉も魚も関係ない。
技術だけではない、志村さんの感性が食材を輝かせたのである。
天ぷらという料理に秘めた、宇宙の秘密に触れた夜だった。
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