なれずしみたいな人になりたい

食べ歩き ,

なれずしみたいな人になりたい。
人によっては臭いと嫌う人もいるが、丁寧に心を込めて作られた熟れ鮓は、臭いというより淫靡である。
一見さりげなく優しいが、口の中で次第に色気を増して、消えていく。
一度食べたら、深く記憶に刻まれて、忘れない。
その余韻の記憶は、憧れであり、官能でもある。
牛スジ煮込みに入れられた熟れ鮓の飯は、あの個性を主張しすぎることなく、汁にすっとなじんで、味を丸く丸くする。
二ヶ月飯につけたという琵琶鱒は、噛んではいけないものを噛んでしまったような、脆弱な食感があって、胸を高まらせる。
そして品が漂う脂の中から、艶が滲み出る。
鮒の熟れ鮓の天ぷらは、加熱されてカーブを描いた色気が、後から後から襲い来る。
どれも一言では表現できない、自然の神秘を備えている。
食べれば食べるほどに熟れ鮓を愛し、畏敬の念がわき上がる。
大地の恵みが姿を変えて現れ、我々の心を安寧へと運ぶ。
そんな人になりたい。
昨夜、徳山鮓の徳山さんと泉屋の泉さんのコラボディナーにて、たっぷりと熟れ鮓の幸せに浸りながら、夢想した。