たこやきの基準がわからない。
何をもっておいしいと判断するのかが、わからない。
しかし生地は、何をもって正しいのだろうか。
例えば大阪の人に聞くとしよう。
「あなたが思う、最高のたこ焼き屋はどこですか?」
すると皆さん、即答する。
「そりゃ、うちのたこ焼きやな」。
こうして、ますますわからなくなる。
これではすべての家を訪ねて、食べなくてはならないではないか。
「会津屋」「十八番」「くくる」「うまい屋」「赤鬼」。
みんなうまいやないか。
結局大阪の人が思うおいしいたこ焼きは、外食ではなく、めいめいの家庭のという心の内にあって、東京の人間なんぞには、一生かかってもわからないのだ。
