「すしの食べ歩き」というと、皆さんはどんなイメージを思い浮かべられるのだろうか。
名店といわれるおすし屋さんを、片っ端から食べ歩き、制覇する。
あるいは、老舗といわれる店に的を絞って何軒も訪れる。そんな印象を持たれる方も多かろう。
わたしは、タベアルキストと勝手に名乗っているだけあって、先にあげた行為を過去行ってきた。むろんそれには、ガイドブックのお手伝いという側面もあったが、一流といわれるおすし屋さんを、一度は食べておかねばという強迫観念にも似た執念で食べ歩いた。
しかしこれは、一般的には無意味である。
すしに対する自分の規範を作ることはできるが、すしを楽しみ、職人の本領を知り、すし屋さんの本質のよさを享受するという意味においては、はなはだ効率が悪い。
わたしの考える「すしの食べ歩き」とは、二つある。
第一は、店を一軒に絞り、四季を食べ歩くことだ。
その一軒は、できれば知人が常連で紹介していただける店が好ましい。
もしかなわぬ場合は、昼のおきまりから攻めてみるのはいかがだろう。
飲食店の鉄則ながら、特に鮮魚を扱うおすし屋さんに、「うまくて安い」はなりたたない。
ただしお昼はお値打ちなのである。
例えば銀座「青木」、「ほかけ」、新橋「新橋鶴八」、一番町「しま一」でおきまりの握りをいただき、一カンだけ旬の握りを握ってもらうのも手である。
五月から六月なら、シマアジ、マコガレイ、フッコかスズキ、アオリイカといったすし種を追加して、五千円ほどで握っていただけるはずである。
四季の食べ歩きは、できれば毎月、決まった仲間を伴って実行できれば、より楽しいだろう。
また予算に余裕があれば、昼時をはずした一時に予約し、予算一万円とお願いして、毎月訪れるのもおすすめである。
いずれにせよ、こうして同じ店に定期的に訪れ、おいしくすしを食べに来ているんだという姿勢を伝えることによって、職人とのキャッチボールができ始めるのである。
次にもう一つの「食べ歩き」は、各県の店を巡ることである。
東京のレベルは群を抜いていおり、全国に飛ばなくても各国の吟味された魚介はいただける。
だがまだまだ各県には、風土を生かした味わい深いすしがある。
札幌「〇鮨」のバッテラ風サバの握りや鱈の白子、煮ダコの握り。
「すし処札幌」の、いくらや蟹の内子、青森「ひろ寿司」の赤酢の酢飯によるウニや帆立の握り。仙台「蓑ずし」のサンマやブドウエビの握り。
新潟「港すし」のはたの握り。
大阪「寿し芳」の平目の昆布〆や穴子、サバ。
岡山「魚正」のままかりの握り。福岡「天勺」のサバの松前寿司や鯨のウネの握り。「田可尾」のアラの握り。「吉むら」のシャコの握り。
長崎「とら寿司」の太刀魚昆布〆や秋のキス、アジ、サバ、平・政・・・。ああ、たまりません。
なかには江戸前の仕事からはずれているものもある。
だが、なんとか地のものを酢飯と合わそうという職人の性根が、我々に新たな喜びをもたらしてくれるのである。
なあにわざわざ行く必要はない。出張や旅行に云った際は、必ず一軒立ち寄ると決めて、気軽に食べ歩けばいい。
やがて目を閉じれば、各土地の気候や風のにおいとともに、すしの味わいとご主人の顔、その手つきが浮かんでくるはずだ。そうなればもうあなたは、各県すし巡りの虜である。