「たいしたことじゃないの」。ラケルさんの料理には、そういわれているような卓越したさりげなさがある。
時間だけではなく、火加減と調味に恐ろしく手間をかけた料理だろうに、そんなことは微塵も感じさせず、なめらかに入ってくる。
フロマージュテッドは、新鮮な豚頭を使っただろうコラーゲンの躍動があって、淡い味付けがそれを活かす。
オゼイユとフロマージュブランのパイは、青臭いオゼイユの風味とフロマージュの優しさが抱き合って、心を温める。
主菜のクードブッフは、切れのよい赤ワインソースのうま味が舌を包み込む中を、甘いゼラチン質が、てれんと消えていく。
仔牛のリブロースは、幼い命の滋味と、歯と歯の間で溶けるように崩れる、つたない筋の甘みが、脳みそを溶かす。
そして、自家製バカラオのラグーは、トマトの味わいの弱さが素晴らしく、生のようなバカラオの淡い甘みを引き立てる。
昼は、前菜に主菜、デザートがついて1800円。
どの料理もここぞという一点に留めた味付けが見事で、しみじみとうまい。
フランス人ではないのに、心の内をのぞかれたような気分を伴って、懐かしさがわき上がる。
それは、誰も真似の出来ようもない、彼女の人生の味である。
意識を皿から外へ向けず、皿の中だけに集中した誠実な味わいである。
「東京にもこんな店があったらいいのになあ」思わず、勝手な意見を吐いたらフランス在住20年のジャーナリストは言われた。
「もうパリにも、あんな店はないわ」。
「ル・バラタン」にて