以前日本の種苗会社は、栽培農家が効率良く、かつ楽に育てられる種を開発、提供してきたと書いた。
それによって本来その野菜が持っていた子孫を残し、生き延びる力も削がれてきたとも書いた。
3大栽培穀物を見てもそうだろう。
人類は、稲も麦もとうもろこしも、突然変異を起こした非脆弱花軸(種が散らばらない)を見つけて選び、包穎(ほうえい、種を包む葉の一部)のない、大粒のものばかり選んで、植えてきた。
また、突然変異で、発芽休眠性のない種を選んで、栽培してきた。
人類は、農耕を始めた1万1千年前から、もっと沢山、もっと楽に、もっと早くと、効率を求めてきたのである。
それにより人類は増加し、文化を生み、発展してきた。
穀物も植物も、人間の勝手な考えで、本来とは違う、繁殖能力の弱い種が選ばれてきた。
だが結果的には自然のまま繁殖するより、はるかに膨大な数の子孫を世界中に広げることができたのである。
つまり植物たちは、人間を利用して、繁栄させてきたとも言える。
その結果、麦も稲も甘やかされ、洪水をも生き延びる、天性のたくましい能力は失われ、人間の介在なしには存続できなくなってしまった。
日本の種苗会社の行為も、農耕の歴史を1時間に換算してみれば、最後の数秒だろう。
しかし数秒とはいえ、我々も植物同様、より健康体な子孫を残さねばならない宿命がある。
飢えが少ない、豊かな時代であるからこそ、この数秒を無駄にせず、本来の植物の力と向き合う必要があるのではないだろうか。
写真は、栃木「海老原ファーム」の野菜たちである。
海老原さんは言う。
「私は野菜を育てません。育てるなんて、おこがましくて、とても言えない。野菜の声を聞き、その思いに、素直に沿っているだけなんです」。
枝からもぎ取った、胡麻の濃い香りと口を収斂させる刺激を持つルッコラの葉をかじりながら考えた。