ドイツ。ドイツ料理を食べるという使命も携えた、欲張りなサッカー観戦である。
最初の晩餐に一人で出かけたのは、ライプチヒの老舗レストラン「アウアーバッフスケラー」である。
日本の場合老舗といってもせいぜい百数十年であるが、創業は1525年、室町時代からある店だ。
ゲーテが通って「ファウスト」の舞台とし、ルターも訪れたという。
日本でいえば、織田信長や斉藤道三が通っていた店になる。
高いドーム状天井の緩やかなカーブに沿って、梁が四方から伸びている。静かに流れるバロックが響く。
明かりは天井から吊るされた白熱灯とテーブルの上のキャンドル。
中世風の格子窓からは、地階なのになぜか明かりが漏れ、白壁には、古の肖像画や地図などが、掲げられている。
厳粛な空気が漂っていた。黒のスーツを着込んだ給仕長も、完璧な英語をイギリス人のようにゆっくりと話した。
「その店に行ったらトマトスープを食べなさい」。
飯倉のドイツレストラン「ツム・アインホルン」の野田浩資氏よりの指令を守るべく、メニューを睨んだ。
むむぅ。
ドイツ料理のドイツ語は十分に予習した。
テーブルの下にはアンチョコもある。
だがまったく歯が立たない。
一つとしてメニューを読み解けない。
イタリアやフランスのほうがはるかに簡単である。
早々に諦め、英語のメニューをもらった。
これだろうか。「shrubトマトのエッセンス」とある。Shrub? 低木のトマト? 理解不能。
だが聞けばトマトのスープであることは間違いないらしい。
メインは赤鹿を選んだ。
アミューズが運ばれる。
縁が波打った菱型の白皿に、クリーム色の肉が盛られ、黄色いソースがかけられ、ミントが飾られている。
肉は七面鳥で軽くスモークがかけられていた。
ソースはマンゴー。
下には、玉ねぎの角切りにソースを絡めたものが敷かれている。
しっとりとした肉がマンゴーの香りに包まれて優しい。
ここはドイツなのか。
モダンな料理と内装のギャップに混乱が始まった。
やがてニッカボッカ風ズボンにハイソックス、白いシャツを着た給仕人がうやうやしく銀盆を掲げて現れた。
右手の高いタンブラーグラスには、シブレットやハーブ類、刻んだトマトが詰め込まれている。
手前の皿には空の透明なティーカップ。
脇にバケット。
奥の透明なティーポットには、コンソメに似た透明感のある焦げ茶色の液体が入っている。
「ご注文の品だがよろしいか」と来た。
彼の指差す先はタンブラーグラスである。
わたしの頼んだものはトマトスープだぁ。と叫んでも収集しそうもないので「ダンケシェーン」と微笑んだ。
気の弱い日本人である。
すると彼は、ティーカップを置き、ポットから並々と液体を注いで、さあどうぞと手を差し伸べた。
飲んだ。
まずコンソメの深いうまみが舌を包む。
そこへトマトの香りと甘み、酸味が生き生きと出現し、飲み込む刹那、ハーブ類の爽やかな香りが鼻に抜けた。
素晴らしい。
コンソメの滋味に底支えされたトマトとハーブの凝縮が、心を揺らす。
全て、あのタンブラーグラスに入れられていたものたちのエッセンスなのだ。
底には、小麦粉の甘みを感じさせるハーブのピュレを包んだラビオリ。
トマトとチーズを乗せてグラチネしたバケットの添え物とともに飲めば、トマトの印象が深まっていく。
間違いなく最先端を行く、コンテポラリーな料理である。
ドイツ料理で安易にイメージする、塩気の強さや脂分の多さなど微塵もない。
品格と凛々しさが両立している。
続いての赤鹿も偉大な皿である。
一面ロゼ色の肉は、火の通しが絶妙。噛めば鹿の鉄分が溢れて暴れだし、濃密複雑なブラウンソースと響きあう。
肉を食べては満足のため息をつき、肉の下に盛られた、シュパーゲル(白アスパラ)とモリーユの香りが調和したリゾットで、心を和ます。
そして再び肉で気持ちをたぎらすという算段だ。
ドイツ恐るべし。
実は多少なめていた。
繊細さは期待できないだろうと。
浅はかな考えは、初日で殴られ、打ちのめされたのである。