<機内食シリーズ第6弾> 小説「機内食」第1幕

<機内食シリーズ第6弾> 小説「機内食」第1幕
初めての飛行機会社だった。
新興の会社なのだろう、選んだ理由は、夜の23時に出発し、パリに2130に到着という、効率か非効率かわからないフライトのせいで、運賃が安かったのである。
客室乗務員の服装は、栗皮色のジャケットとスカートに、亜麻色のシャツ、生成りにクリームイエローと赤の柄が描かれたスカーフ。
男性は、栗皮色のスーツに白いシャツ、チョコレート色のタイと、シックな装いである。
紺系が多いユニホームを見慣れた目には、新鮮で、笑顔がより映えて見える。
席はエコノミー。安いからといって、前後左右の間隔は、他社とは変わらない。
座ってしばらくすると、おしぼりと機内食案内が配られた。
おしぼりは布製で、上質ではないが、ほどよく温めてあり、快適である。
素材がいいのに越したことはないが、それ以上に大切なのが温度だということが、よくわかっているのだろう。
機内食案内は、まさに案内であった。
「ミッドナイトスナック~夜食」とあり、「ミックスサンドウィッチ」とだけ記されている。
パリに着く前の「ディナー」は、「本日の前菜」、「フランス郷土料理風本日の鶏料理、魚料理」、「デザート」とある。
実にあっけない。
大体数日前に仕込んでいる料理に、「本日の~」もないだろうと、突っ込みたくなったが、突っ込む相手がいない。
こんな案内なら、渡すまでもないのに。
しかし機内食は、はなから期待していない。
そのために、成田でうどんをすすって腹を満たして来た
夜食は冷やかしで一齧りしてみればいい。
大体において寝る前の食事はよろしくない。
普段、酒飲んだ後のラーメンを、あれほど自制しているのに、なんで飛行機に乗ってまで夜食を食べなくちゃいけないんだろう。
それならパスすればいいじゃないかというご指摘もあろうが、根っからのビンボウ根性ゆえ、食事も運賃の内と思うと、断れない。
飛行機は滑らかに飛び立った。
しばらくして、飲み物がサービスされる。
ナイトキャップだから、無難にビールを頼む。
するとクローネンブルクの缶とつまみの小袋が手渡された。
クローネンブルクとは珍しい。
やはりフランス行きだからか。
口に含むと、強い麦芽の風味とホップの香りが広がる。
冷涼なアルザスの地に思いをはせる。ピルスナーだから爽やかで、キレもいい。
小袋を破ってみれば、アーモンドが入っていた。
齧るとほのかにシナモンの香りが漂う。
塩気とシナモンの香りに、ビールが合う。
やがて食事のトレイが配られ始めた。
この配膳行為がどうも好きになれない。
顔は笑顔ながら、オートマチックにあてがわれる感覚に、俺らは豚舎の豚じゃないぞと叫びたくなる。
だが、なにか様子が違う。
乗務員が作った料理でないことは明白なのに、さあどうぞ食べてくださいという思いが、言葉と笑顔に滲んでいるのだ。
トレイの色もいい。淡い亜麻色で、暖かみがある。
そこに、白く楕円型の、蓋付き器が置いてある。
器の上にはメニューの紙が置かれ、
「赤い夜食」とタイトルが書かれていた。
「ハム、トマト、スモークサーモンのミックスサンドウィッチ 赤カブのピクルス添え、ブラッドオレンジジュース」とある。
「赤い夜食」。
挑まれた。
期待が膨らんで、胃袋を刺激する。
蓋を開けると、三種類の三角形のサンドウィッチが、端正に正座していた。
どれも具が赤色系である。
しかし色合いが違う。
一つは燃える赤。一つはオレンジがかった赤。一つは淡い桃色。
ムースなのだろうか。
どれも滑らかなジャムのように均一に挟まれている。
しかも外側にもう一枚パンがあって、白やら緑やら淡い黄色やらのクリーム状のものが挟まれているではないか。
つまりパン、ムース状の具、薄いパン、クリーム状の具、パンといった順番に、挟まれている。
オレンジ色からいってみた。
ああ、スモークサーモンのムースじゃないか。
燻製香がほどよく鼻に抜け、質のいい脂が舌に広がっていく。
クリーム状のものは、柔らかく練ったクリームチーズに、玉ねぎとケイパーの微塵を合わせたものだった。
芸が細かい。
あわてて白ワインを頼んだ。
赤いムースは、トマトだった。
恐らくゼラチンで固めたものだろう。
甘味と酸味のバランスよく、太陽の香りがする。
こちらの傍らは薄緑色。
おお、バジルではないか、オリーブオイルも塗ってある。
ん? このコクはなんだろう。
そうかモッツアレッラか。
モッツァレッラとバジル、オリーブ油を、ポマード状にまとめたものが入っているぞ。
そう、カプレーゼである。
薄桃色のムースはなんだろう。
食べて笑った。
ハムのムースである。
ハムの薄切りを挟むより、ハムの風味が出ていて、上品だなあ。
パンともよくなじむ。
しかもこのハムだけトーストである。
当然冷えてはいるが、トースト香は生きている。
傍らは薄黄色。
ははん、判明したぞ。
マスタードバターとマヨネーズだろう。
ハムにアクセントして、実にうまい。
数時間前に食べたうどんなどすっかり忘れて、夢中で食べ終えた。
機内食のサンドウィッチは、パンも中の具もミイラ化寸前なものが多いが、ムース化で解決し、さらにモダンフレンチのエスプリを注入して、おいしさと知的好奇心をくすぐる。
してやられた。
こうなると食後は、コーヒーでなく、紅茶が頼みたくなる。
おいしいサンドウィッチを食べた時の定番である。
周りを見ると、大勢の客が、幸せそうな顔をして紅茶を飲んでいる。
よし今夜は映画を見ないで、ぐっすり寝よう。
以下次号
写真はイメージです