醤油の香りにまみれて育った少年は、その香りから逃げ出すように東京の大学に入り、大手商社に入った。
商社では飼料部に配属され、大豆を扱うようになる。
フツウは3〜5年で配属が変わるのだが、なぜか彼だけは7年間も変わらず大豆を扱った。
「シカゴの世界相場で、大豆はカテゴリー2なんです。つまりカテゴリー1の穀物類やコーンなどと違い、人間の食べ物ではない動物飼料のカテゴリーなのです」。
大豆油を搾ってサラダ油などに精製し、搾りかすは飼料にする。人間が直接食べないがゆえに、遺伝仕組みかえが行なわれ、大量の農薬が使われる。
大豆のいく末に心を痛めているときに、ふと大豆を使う家業を思い出した。
俺はなにをやってるんだと、会社をやめて、和歌山県御坊に帰る。
こうして、人間の運命は定められているのかもしれない。
いや神は、日本固有の醤油文化を守るために、彼の運命を定めたのかもしれない。
18代目の野村圭祐さんは、こうして300余年続く、醤油と味噌作りの「堀河屋野村」を引き継ぐ。
麹と奮闘しながら、丸大豆ではない、搾りかすを使った醤油が八割を超す日本で、唯一と言っていい古式醤油作りを作り続けている。
帰ってからは、製造方法を巡って、父と何年も喧嘩した。
初めてまかされて造った醤油はうまくいかなかった。
おそらく我々には想像できぬ、様々な苦労があっただろう。
だが、父に、常連のお客様に、使ってくれる料理人に、大豆の生産者や従業員に感謝しながら、今がある。
それが「三ツ星醤油」の丸く深い味わいとして醸し出され、径山寺味噌の練れた塩気と甘みとなっているのかもしれない。
「父は天才肌で感性の人だが、僕はまったく正反対なんです」と、父のことを語る。
その言葉には、天才を受け継ぐ者の、並々ならぬ覚悟が滲み出ていていた。