花見が嫌いだ。

日記 ,

花見が嫌いだ。
という話をしたら、僕も嫌いだという人がいた。
彼は、散りゆくものを、なぜ楽しまなくてはいけないのかという。
僕は、違う意味で、嫌う。
桜は好きだが、花見が嫌いなのである。
正確にいうと、桜は好きだが、桜並木が耐えられない。
華やかさと妖しさを秘めた桜が連なると、過剰すぎて、いたたまれなくなってしまう。
そんな桜並木の下では、酒を飲み、ご飯を食べる気には、どうもなれないのである。
それに桜だけでもう豪華なのに、その上ご馳走となると、華やかさの積み重ねで、胸がいっぱいになってしまう。
ゼータクを言わせていただければ、桜が一本だけある林の中で、1人か2人でひっそりと過ごしたい。
手元には、塩握りが一つと、京番茶でいい。
だから今日のような朝は、早起きをして、1人公園に行き、ぽつねんと咲く一本の木を愛でる。
塩握りを頬張りながら、やがて永遠に向かって旅立つ桜に、さようならと言う。