「お前に私が焼けるかい」。肉は、問うてきた。
その深い赤は、一切の形容詞を否定する。
厳しい気候から身を守る脂は、肉に分厚く覆いかぶさり、草だけを食べてきた証に、黄色い。
北海道は襟裳岬にほど近い、日高山脈南部に位置する様似町にある駒谷牧場の完全放牧野生牛である。
これほど焼く人間に挑んでくる牛肉は,見たことがない。
駒谷牧場は、総面積200ヘクタール。ディズニーランドの四倍の土地に、たった36頭の牛しか飼っていないという。
さあどう焼くか。試案の挙句、分厚い脂を削り取り、それをロッジのスキレットでゆっくり溶かし、そこで肉が半身浴するくらいの脂を張って、揚げ焼きすることにした。
脂が溶けはじめる。甘い香りが立ち込める。
もう脂を溶かしているだけで、肉を食べている気分である。
さあ焼こう。
ジュジャァ!
肉が、威勢のいい音を立てながら脂に浸かっていく。
脂を肉にかけながら、片面が焼き固まった時点で、裏返し、再び脂から出ている肉の表面に、熱い脂をかける。
肉の上で脂が躍る。
さらにたまらぬ香り膨らんで顔を包み、どうにもじれったい。
ようやく焼きあがった。
まだ食べてはいけない。
焼いた時間と同じだけ休ませ、粗い岩塩をふりかけて皿に盛り、黒コショウとマイユのマスタードを控えさせたテーブルに運んだ。
脂は、黄色から薄いオレンジ色へと変色し、こげ茶の芳ばしい焼き面とオレンジの色合いが美しい。
切れば、表面の1ミリだけが焼け焦げ、中はロゼ一色である。
切って口に運ぶ。 噛む。
ずずん。
一噛みした瞬間に、地鳴りがした。
心臓の鳴動が味の中にあって、体を揺さぶる。
どどうっ、どどうっ。
噛めば噛むほどに、肉汁が流れ出す。しかしその肉汁は、我々が知っているものではない。
脂のだらしない甘みがなく、鉄分の味だけでもない、純真な命の滴りにあふれている。
食べるごとに、噛むごとに、牛の精気が我々の体に送り込まれて、気分が高まっていく。
命を食べるとはこういうことか。これほどまでに、壮絶なのか。
もうフォークを使うのももどかしく、手づかみで食べた。
よく僕は、「野性味がある」という表現をしていた。
しかし「野性味がある」とは、都会人の軟弱な想像でしかないことを、この肉は伝える。
それほどにジビーフの味わいは、食の本質を揺さぶる。
肉を食べる意味とはなんなのかと、人間に問うのである。
そして食べた後も、ジビーフは問い続ける。
換気扇を回しても回しても、一週間ほど脂の甘い匂いは部屋に居座って離れない。
「こりゃ匂いだけでご飯が食べられるね」と、家族で笑った。
肉は、問うてきた
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