現代人の未来に警鐘を鳴らす、高知の素朴な果物。

食べ歩き ,

赤黒い、イボイボした皮に鼻を近づけて、匂ってみた。

ほんのりと甘い、ブドウのような香りがある。

皮に唇を当て、そっと噛み潰した。

その瞬間、どっとジュースが流れ込む。

皮の渋みが来て、小気味のいい酸味と甘みが入り混じる。

その酸味は、ベリーというより小夏に近い。

液体はサラサラとしているのだが、しばし口に留まって、舌を翻弄する。

甘く酸っぱく、ほのかに苦い余韻を、長く残しながら消えていく。

これは果物のワインだ。

ヤマモモは、ヤマモモ科ヤマモモ属の常緑樹で、6月に赤茶色の果実を結ぶ。

果実はほぼ球形で、緑から赤になり、暗赤色となって熟す。

「黒くなって、大きいやつがおいしいよ」

長年、ヤマモモを育ててきた、78歳になられる土居さんが教えてくれた。

土居さんは最初、11本の苗木をこの地に植え、今は200本が植えられている。

種類も多い。

「瑞光」はジューシーだが酸っぱく、さくらんぼうの味に似ている。

「西村二号」は、実が小さく、甘酸っぱい。

「亀蔵」は、香りに白桃に似た気品があって、甘みが優しい。といった具合に、様々な表情を持っているのである。

ちなみに土居さんのオススメは、亀蔵だという。

短い収穫時期に、命をかける。

「ヤマモモは大きく赤黒いのはそのまま食べて、小さいのはジャムだね」と、土居さんが嬉しそうに話す。

成木は10メートル以上になるものもあるので、脚立を使って獲るのだが、危険性も高く、死亡者が出ることもあるという。

しかも6月、2週間ほどしか実がならない。

高知の県花とされているヤマモモの短い収穫時期に、命を懸ける。

深い緑の中に点在して実る赤い身は可憐で、「食べてごらんなさいと」誘っているようでもあった。

中にあの渋みと甘酸っぱさが宿っているのかと想像すると、獲りたい衝動が走る。

手の届かぬ実には、指と唾液をくわえながら、見守るしかない。

低い木を狙って、二、三個手に取る。

いとも簡単に木からもげるヤマモモは、口の中を生き生きとした酸味で洗い、

その後を、キレイな甘みが追いかける。

「今は食べる人が少なくなったね。お菓子屋さんしか、よう買わん」。

そう土居さんが嘆くように、古来より日本人とは縁の深い果物ながら、今はあまり市場には出ない。

土居さんが、子供のように愛情をかけて育て上げたこの200本は、今後どうなっていくのだろうか?

口の中に残る、甘酸っぱさを思い出し、切なくなった。

その酸っぱさは、甘さや効率ばかりを追い求める現代人の未来に、警鐘を鳴らしているのだろうか

よし、また6月になったらここに来て、土居さんのヤマモモをどっさり買い込もう。

そして東京の食いしん坊に配ってやる。