汁かけ飯論2

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飯に汁をかけるという食方法は、平安時代以前からあったようで、『枕草子』や『源氏物語』にも湯漬けという名で登場する。

戦国時代の武将も、出陣前に湯漬けを食べたらしい。

おそらく簡便に素早く腹ごなしできる食方法であったからであろう。

また「芳飯」といって、色とりどりの具を飯の上に載せすまし汁かけた精進料理も、室町時代より流行ったとの記録もある。

一方味噌汁かけご飯という方法も(今の味噌汁より相当濃いものだったらしいが)庶民や田舎侍の間では、日常だったようだ。

おそらくこれらがもてはやされていた背景には、手早く腹持ちがするという、実質的で合理的な理由が多くを占めよう。

つまりインスタント料理であり、ファーストフードでもあったわけだ。

しかし現代では、「汁と飯を別々に食うなんざぁ、めんどくせえ」なんて御仁はまれであるし、もっと実質的で合理的な料理が多く存在しているので、汁かけ飯を食べる理由は別にあると考えていい。

例えば駒沢に「かっぱ」という煮込み専門店がある。

できますものは、煮込みとご飯、お新香のみという潔い店である。

この店の流儀は、煮込みをおかずにご飯を食べ、ご飯がしかるべき量になったら、煮込みをご飯にかけ、掻きこむことにある。

別にそう定められているわけではないが、体育会学生も若い女性も大学教授もみな、おいしそうに描き込むので、店内はいつもズルズル音の競演が鳴り響いている。

実際うまい。

クセになるほどうまい。

いつも、今日こそは煮込みをかけないで食べ終えようと思うのだが、いまだ誘惑に勝てない。

銀座のおでん屋「お多幸」にいくと、「とうめし」を頼まずにはいられない。

これは茶飯の真ん中をへこませ、豆腐とおでんの汁をかけたものだ。

味が染み込んだ豆腐の柔らかき肢体と米粒の絡み合い、そこへ濃い汁が絡んで、やめてくれのうまさとなる。

なんでも常連の頼みから生まれたとか。

汁かけ飯好き常連おじさんに感謝である。

原宿の四川料理店「龍の子」の坦々麺はおいしいが、麺を食べ終わってからがメインイベントとなる。

ご飯を頼み、汁をかけて食べるのだ。

白きご飯は辛味とうまみを吸い込み、格別のうまさを生む。

辛味のあとからご飯の甘みが現れ、殴られながらなでられる、怒られながらほめられているような感覚に酔うのだ。

麺では成しえぬ汁かけ飯の腕力である。

人形町今半では、すき焼きを食べた後に残った汁を卵とじにし、ご飯にかけて食べるという芸当をご主人から教わった。

銘々の小鉢に残ったつけ卵と新たな溶き卵を混ぜ、割り下が煮立ったところへ流しいれ、半熟に仕上げる。

これをすくってご飯にかければ、そりゃあ危険である。

割り下の濃い味わいを優しき卵の甘みが吸収し、そいつが熱々ご飯の甘みとからまって、ああもういけません、止まりません。

西麻布の酒亭「和楽惣」では、カワハギがあると聞くと暴走する。

わさび醤油少量で合えた肝和えを作ってもらい、それを小丼に仕立ててもらうのだ。

肝とカワハギの刺身、肝の滋味が溶けた醤油が染みたご飯を、一緒にズルルと掻き込めば、箸は止まらず一気呵成である。

ご飯にかけた瞬間に生まれる疾走感。ここにも汁かけ飯の秘密がある。

以下次号