文章のこと

日記 ,

文章のことで、時々お褒めいただく
涎が出てたまらないとか、官能小説だとか言っていただく。
どうやって書いたらいいですか? ともよく聞かれる。
でも、最初からそうだったわけではない。
書き始めたのは、山本益博さんに出会ってからである。
レコード会社時代に広報誌を作っていたのだが、自社の宣伝ばかりでは差別できない。
そこで音楽業界以外の人のインタビューを載せることを思いつき、片っ端からアポを取っていった。
みなさん、はじめて会う有名人である。
コネもないのに、会社にFAXを送ってインタビューをお願いした。
無謀である。
なにしろ広報誌であるから、マスコミに配布されるといっても発行部数は、三百くらいである。
それなのにみなさん、心よく会ってくださった。

初回が山野愛さん、2回目は、車好きなら神の存在の、小林彰太郎氏、そして3人目が、山本益博氏だった。
六本木の事務所で取材させていただき、取材後に当時出されていたポケットグルメにサインをお願いした。
しかしその本は、使い込みすぎてボロボロになっていたのである。
それを見て山本さんは逆に喜んでいただき、「君は食べるのが好きなんだねえ。どこか好きな店は?」
聞かれて舞い上がり、何を言ったかは覚えてない。

それから二週間後、会社に電話がかかってきた。
「今度昭文社から東京のガイドブックを出すんですが、手伝っていただけませんか?」
突然の、想像だにしない申し出だった。
咄嗟に返したのは、
「僕文章をまともに書いたことがないんですが、大丈夫でしょうか」。
「大丈夫です」。
不安だったが、なんとかチームに参加したく、返答した。
それが、本格的に文章を書きはじめた最初だった。
1992年だったように思う。
たった100文字程度の量を、何時間もかかって書いた。
その後、「味の手帖」で連載も始まり、今に至る。
その頃書いたものから、今に至るまでのアーカイブを作りたいと長らく思っていたのだが、ついに今夜完成する。
いまさらながら、ホームページである。
まだ全部完成はしておらず、2005年頃からの記載をまとめつつある。
当時の文書もできる限り載せようとおもつている。
当然文は拙い。
拙く、直したい衝動に駆られるが、極力そのまま載せた。

もし僕が文章がうまいとしたら、それは自分に才があったわけでも、努力したわけでもない。
素晴らしき料理人と刺激的な料理に、数多く出会ったことから、文が磨かれたのだと思う。
優れた対象がない限り、創作は深化しない。
初期の文を読みながら、そのことを痛感して、感謝した。