以前、被災した1年後に
奥尻島青苗地区や普賢岳に降り立った我々は
みな一様な思いを抱いた。
自分の足で立ち
見
嗅ぎ
肌に伝わるそれは
テレビで見聞きしていた凄絶を
はるかに上回るスケールで、
想像をはるかに超えていたことを。
泉谷しげると我々は
青苗地区でバスを降り立った瞬間に
全員が押し黙った。
誰も一言も発することなく
ただただ1時間歩き回った。
全員がテレビでは伝えきらないことがあること。
自分の想像力が足りていないことを痛感した瞬間だった。
一軒の跡かたもなく消えた家の跡地で
小田和正の僕の贈り物という割れたCDを見つけたとき
止めどもなく涙がこぼれ始めたのを思い出す。
生活な匂い
幸福な時間。
これを聞いていた人の瞬間は
目の前に広がる無慈悲とは無縁だったはずだ。
その後被災者の方々の話を聞いて
みな一様におっしゃったのは
「つらかったけど、救われたのは子供たちの笑顔です」という言葉だ。
子供たちは被災場所で新たな遊びを見つけ、すぐに
笑顔で遊びだしたという
それが、悲しみと不安の大人たちをいやしたのだという。
我々の想像力の限界を知り
子どもの力を知った。
今応援すること。
この先1~2年後応援すること。
考えなければならないことが山ほどある。