屋久島で37歳のカメラマンと会った

日記 ,

屋久島で37歳のカメラマンと会った。
14歳時、卒業アルバムを自作しようと、おとんのカメラで友人たちを撮って、写真の面白さに目覚めた。
「目で見ている光景と違うもんが写っていることがあるじゃないですか。それが面白くて面白くて」。
大学卒業後は、東京のスタジオに入り、多くの巨匠から指名もされるようになった。
写真家を目指していたが、PR関係の仕事が性に会わず、一時は飲食業にどっぷり身を置く。
しかしやはり、写真の魅力を断ち切ることができず、人からの勧めで富士山の写真を撮るようになる。
富士山七合目の山小屋に600日間住み込み、定点で雲の上の「夜明け」を撮り続け、写真集を出した。
「富士山で写真を撮っていると、宇宙と自分が繋がっている感覚があって、気持ちが外へ外へと飛翔していく。それは西表島のジャングルでも感じました。でも屋久島はまったく違ったのです」。
長く住んで撮り続けた西表島から屋久島に来たのも、人の勧めだったという。
会った時は、屋久島の山に40日も滞在して、下山してきた後だった。
「いや、今回で3回目でしたけど、ほんましんどかった」。
米と味噌と機材を担いで、物の怪が住む山中に分け入る。
365日雨が降るという屋久島は、ただでさえ登山が厳しい。
雷雨の中、撮り続ける。
足を捻挫し、カメラが壊れても撮り続ける。
「途中足を滑らせ、カメラが壊れて焦点があわせられなくなった。でもカンだけで撮り続けました」。
西表島と違うのは、恐れだという。
生命の危機もあるが、お前はこの山にふさわしい動物なのかと問う、山と森の存在感だという。
「富士山や西表では外を向いていた気持ちが、内へ内へと入っていくんです。死ぬ寸前に走馬灯のように過去のことを思い出すというじゃないですか。あんな感覚で、自分の内へずぶずぶと入っていく」。
でも手は自然にシャッターを切る。
内々に入っていた気持ちが、ふと途切れた瞬間、あれほど厳しかった雷雨が一瞬止み、山が別の表情を見せる。
「屋久島はほんましんどい。なにかが確実にいる。山に入るたびに怖くてしょうがない。でもそんな瞬間、40日の間に一回か二回しか無い瞬間に惹かれてしまうんですわ」。
そう言って、締まった頬に、人懐こそうな笑顔を浮かべるのだった。
山内 悠37歳。