小松弥助は、すべてが柔らかい。

食べ歩き ,

すべてが柔らかい。
酢飯は、柔らかく舞うように握られ、魚の味も柔らかい。
煮ツメは江戸風のこっくりとした味でなく柔らかく決められ、蒸し鮑の出汁の味わいにも、品のある柔らかさが宿っている。
そしてなによりも柔らかいのは、ゆったりと流れる空気である。
若い衆はきびきびと、ご主人の次の握りへの下準備をするが、銘々が自らの役割を淡々とこなし、寿司を握るご主人のもとへ運ばれる。
その淀みなき流れが柔らかさを作っているのだが、それよりも緊張することなく食べてもらおうというご主人の心根が、店全体に横溢しているので、空気が和らいでいるのだろう。
ここに座れば、故郷に帰ってきたような柔らかさと優しさに包まれて、安寧になる。
名物うなぎときゅうりの手巻き寿司を渡すとき、海苔にご飯粒が一つ付いてしまっているのに気づいたご主人は、「おまけね」と言って、笑った。
みなさんがこの寿司屋に惚れるのは、そんな和らぎがあるからだろう。
僕が初めて小松の店に訪れた25年前は、緊張感で店の空気は張り詰めていた。
「俺の寿司がわかるかい」と無言で迫られた。
だが歳と年を重ねるうちに、鋭敏な肩は丸くなり、空気と馴染んでいったのかもしれない。
「あっという間に過ぎてゆきました」。
90歳になる寿司職人はそう言われて、優しい目で微笑まれるのであった。
小松弥助にて。