「シチュウ」。
北風が頬を叩き、コートの襟を立てるようになると、そっとささやいてみる。
するとなにやら温かい気分が押し寄せてきて、ほんわりとした幸せがにじりよる。
シチューは偉大である。言葉だけでも、幸福感が味わえるのだから。
ちなみに、今風にシチューというより、昔風に「シチュウ」と発音した方がどこか温かい。
この寛大な偉大さは、どこから来るのか。単に温かい料理ということだけではない不思議がある。
それは作る時間と関係しているのではないだろうか。
肉を柔らかくさせるため、柔らかくなれと、念じる。かき混ぜながら、おいしくなれ、おいしくなれと念じていく。
そうした作り手の思いが、じわじわと味に浸透して、味わいに込められているからこそ、人々の心を温めるのではないだろうか。
肉を柔らかくするだけなら、電子レンジも、圧力釜もある。しかしそれでは、想いが込められない。心は温められない。そんな気がする料理である。
シチューの歴史は、石器時代に食べ物を焼くことから、水を加えて「煮る」ことを発見した時代から始まるが、似た料理の記録は、ローマ時代からとなる。
古代ローマの皇帝アウグストゥス時代の料理書「料理大全」には、3〜40種もの食材を合わせて煮こんだ料理が、多くみられるという。
アジアまで力を伸ばしていた帝国には、様々な食材や調味料が流れ込んで、それらをごった煮にすることこそが、権力の象徴でもあったのだろう。
中世になるとごった煮は、さらに集約されていく。
農牧畜作業に忙しかった農民にとっては、毎日料理をしている暇も体力もない。
煮こんで放っておき、完成後何日か食べられる料理は、重宝したに違いない
ごった煮が、料理として体系化され完成したのは、17席後半から18世紀のフランスとされている。
フランスには煮込むという意味合いの言葉には、étuver(エテュベ)やragoût(ラグー)があるが、このétuverの古語であるéstuverがイギリスに渡って、stewになったという説がある。
さらに遡れば、ラテン語 extupareの「蒸す」→俗ラテン語 extupa 「蒸し風呂」→中期フランス語 estuve「蒸し風呂」→中期フランス語であるestuve「蒸し風呂に入る」→中期フランス語 estuver「「蒸し風呂に入る」→中期英語の stuven 「蒸し風呂に入る」(1400年ごろ)、これがstewになったという。
日本へ来歴は定かではないが、明治4年、東京の洋食店「南海亭」のちらしに、「シチウ(牛・鶏うまに)」との品書きが見出され、仮名垣魯文『西洋料理通』(明治5年)においても、牛肉や豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されている。
やがてレストランのメニューとして普及し、明治末期には、上流階級向けの婦人雑誌にもレシピが紹介されるようになっていく。しかし、一般に広まったのは、戦争後のことである。