もっと純粋で高潔かもしれない。

食べ歩き ,

フォアグラを初めて食べたのは、今から40数年前の大学生の時で、確かルージェだったと思うが、トリュフ入りフォアグラパテの缶詰を買った時である。
当時「料理天国」というTV番組があり、そこで芳村真理が「フォアグラって美味しいのよねー」とのたまわっておられ、どんな味だろうと、ただただ想像を膨らましたのであった。
食べた時のことは、鮮明に覚えている。
アルバイトで稼いだ金を握り締めて、紀伊國屋で購入した。
淡い茶色したそいつを、そっとなめた。
妙に脂っこい。
おいしいといえばおいしいが、これが世界三大珍味なのか。
どうしてもてはやされるのか、わからん。というのが正直な感想だった。
その後就職し、フランス料理店にも行くようになり、食べる機会も増えた。
しかし真髄に触れた! と、初めて思ったのは、新婚旅行でニースのネグレスコホテルに泊まり、ホテルレストランで初めて二つ星をとり、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったジャック・マキシマンシェフの「シャンテクレール」であった。
28歳 1983年の5月である。
ゲランドの塩だけが少し乗った分厚いフォアグラのテリーヌを食べた瞬間、夢の中にいた。
陶酔という言葉の意味を、最初に噛み締めた時間だったように思う。
甘い香りを放ちながら舌に広がり、口腔全体を舐め回すようにして消えていくフォアグラは、甘美であり、妖艶であり。性的コーフンをも呼び起こす料理だった。
これがフォアグラなのかと、その余韻をいつまでも楽しんだ。
その後数々のフォアグラ料理をいただいてきた。
今では生意気にも、フォアグラということでは少しもありがたがらない、生意気な自分がいる。
しかし先日、久々にフォアグラ料理で痺れた。
パリの伊藤良明シェフが東京で料理をしてくれた、フォアグラである。
食べた瞬間に、吉田牧場で食べた、自家製バターを思い出した。
脂の塊なのに、微塵のいやらしさもない。
すうっと舌の上で溶け、ほんのりと甘い香りを広げながら、跡形もなく消えていく。
淡雪の消え方である。
どこまでも純粋で、雑な香りなく、幻のように消えていく。
それは最初に感動した、「シャンテクレール」同様の甘美だった。
いやあれより、もっと純粋で高潔かもしれない。
「これならフランスで使っているフォアグラ と遜色ないと思い、日本でも出そうと思いました」。
そう伊藤シェフが語るフォアグラは、マイナス62度でCAS冷凍かけたものを61度で加熱したものだという。
油や脂は酸化する。
もしかすると、嫌な匂いはしないまでも、真空パックといえど、微妙に酸化が始まっているのかもしれない。
その優美を、ふりかけた苦味のないカカオの外皮と詰めたポルト酒が、よりいっそう妖艶な時間へと運ぶのだった。