きしめんの魅力というのは、口元を過ぎる瞬間にあるのではないだろうか。
平たい麺が、唇の間を通り抜ける時、唇を撫でる。
べろんと撫でる。
その時、きしめんに意思が生まれて、私を食べてと囁きかける。
それを無意識に感じているので、人はきしめんを食べるのではなかろうか。
それはうどんやそばの丸さにはない特権で、平打ちのそばにはその傾向はあるが、表面の滑らかさでは負けてしまうので、撫でるというより、さするに近い。
もちろんフェットチーネもリングイネもすすっては食べないので、この感覚はない。
きしめんは、あれより幅が広くても、麺自体が薄くても厚くてもいけない。
あの大きさは、長い間きしめんとつきあってきた人間が決めた機能美なのだ、と思いたい。
名古屋で「きしめんのうまい店は?」と、名古屋の人に聞くと、大抵うーんと考えて、「新幹線ホームの住よし」と答える人が多い。
人によっては、同じ経営なのに、上りホームがうまいとか、いや下りホームだとか、主張がある。
今日は上りホームで食べた。
肉きしめんや名古屋コーテンきしめん、天ぷら系などあるが、なるべくきしめんの食感、きしめん以外の唇への干渉を避けるため、きつねわかめを頼む。
ただし、きしめん上の削りカツオは、香りのアクセントとして素晴らしいのだが、ごわごわした食感がつるんつるん感を削ぐ、つまり唇撫で感を弱めるので、出来るだけ脇によせ、きしめんを食べる前につまんだり、きしめんをすすった後に口に入れるようにしている。
まあ、「入れないで」と言えば、それで澄むのだが、「それではもったいない」と思ってしまうのが、ボクのまだ未成熟のところである。
追記
上りホーム13号車近くの住よしの方が鰹節が多い