あまりにも「木場谷」さんの酢飯がおいしく、無理をお願いしてシャリ玉を握ってもらった。
寿司を食べると、ミツカンとヨコイの合わせ赤酢の丸い香りがふっと立って、人肌の米の甘みが加わり、それが魚の香りや甘みと同化していく。
その時の流れが、短いながらも美しい。
米は、はらりと舞いながらも一粒一粒に存在感がある。
一粒一粒に生の気配というか、植物としての勢いのようなものがある。
それが生きのいい魚と出会って、ドラマを作る。
その思いは、シャリ玉を食べて一層強まった。
聞けば、能登のお坊さんが作った米なのだという。
山奥で、自分で発芽させながら無農薬で作っている米で、必要最小限作られたものをいただき、鉄釜で丹念に炊いたものである。
最初は新潟からもらったコシヒカリだが、米は先祖返りへの復元力が強い植物である。
自家発芽を繰り返すうちに、次第にコシヒカリから離れ、先祖返りしていく。
そのためなのか、やわな米とは違う、力強さが一粒に宿っている。
それが綺麗な脂がみっちりと乗ったブリや、堂々たる大きさで、甘みに厚みのあるアオリイカや、なめらかな身に鉄分の香りを乗せたスマガツオと抱き合うのだからたまらない。
こりゃあ季節を変えて、金沢にこなくてはいけない。
季節季節の魚の勢いと米のたくましさが出会う瞬間に、立ち会わなくてはいけない。