〜空虚なる実在〜

食べ歩き ,

「夢」である。
自分は、うなぎを確かに食べたはずなのに、もうどこにもいない。
それほどまでに、雑味なく、優しい脂の甘みだけが、しずかに広がっては消えていく。
うなぎを噛んでいるのだが、噛む必要はなく、舌と上顎でゆっくり押しつぶす、
するとうなぎは溶けて、うたかたとなる。
夢であるから、刺激で現世に引き戻ってはいけない。
山椒はもちろんのこと、添えられたお新香も、肝吸いも食べない。
できれば先に食べておく。
そしてうなぎ重だけを、ひっそりと食べる。
知人も友人もいらない。
家族も愛人もいらない。
一人で、黙って命と向き合う。
うなぎを食べてから、ごはんをかきこむことも、皮側を舌側にして食べることも、いらない。
ご飯の上にうなぎを乗せ、ご飯は鰻より少しだけ少なくして、そのまま口に運ぶ。
握り寿司の要領といったらいいだろうか。
米とタレの甘みが合わさった瞬間、鰻が追いかけて、溶ける。
ふわん。ふわん。
鰻が消えた後から染み出した、甘く切ない、桃源の滋養が、口の中で舞う。
同時に舌が溶け、脳が溶け、背骨が溶け、精神の支柱が溶けていく。
ため息ひとつ。
あとは目を閉じて、官能の余韻を噛み締める。。
今の時期から始まる、入谷鬼子母神「のだや」だけの「かねみつ」のシンコ鰻のうな重。シンコらではの身の柔らかさは、万遍返しで何回も返しながら焼くのは、至難の技だという。
コースは 別コラム参照
初うなぎ