「心して食べろ」

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「心して食べろ」。
次々と船が帰ってくる。釣り船、底引き網の船。
市場の人が駆け寄り、漁師から網に入れた魚を受け取ると、小走りで一刻も早く生簀に移す。
数千万円も電気代がかかるという生簀には、海の水が流れ込み、絶えず空気を送り込んでいる。
漁師も、魚にストレスを与えないような他にはない工夫を巡らせ、手間をかけて獲り、運んでくる。
魚たちが生簀の籠の中で悠々と泳ぐ。
可能な限り活かした魚を競り場にかけるのが、明石の常識である。
1130.セリが始まった。
コンベアで次々と魚の入ったカゴが、セリ場に流れていく。
まずどの漁師が獲った魚かが告げられ、競人が一瞬で魚体を見て値を告げ、卸売業者がすぐさま、手の動きで応えていく。
一匹10秒もかからない勝負。
時間をかけては、魚が弱ってしまう。
瞬時に見極め、価格を決め、交渉し、瞬時に数十人の中からの買い手を見つけ、取引が成立する。
なんという胆力であろうか。なんという男気であろうか。
魚たちは、活かすものは活かし、野締めするものは直ちに即死させ血を抜き、神経を抜く。
こうして世界一の魚が生まれるのだ。
日本で有数の漁場を持ち、魚食を愛する地元民と、京都、大阪という台所をもってこそ、この特殊な競が、価格より味わいを考えた市場が生まれたのだろう。
しかし彼らは、胡坐をかかない。
常に明日を考える。
いかにおいしい魚を届けるかという一点を、考え抜く。
熱く語る男たちには、徹底した魚への敬意があって、それは他の命を絶って自らを育む、人間としての誠意なのだと思った。
「心して食べねばならない。そのおいしさを心して伝えねばならない」。
競を見つめながら、胸の内で言葉を繰り返した。