〈軽井沢と外食〉その一

食べ歩き ,

〈軽井沢の外食〉その一
「外食」という非日常の魅力を最初に感じたのは、軽井沢だった。
小学生四年生の頃、旧軽にあった「デリカテッセン」{昔はレストランもやっていた}に出かけた時である。
創業者はヘルマンさんというドイツ人で、創業は昭和二十九年、夏だけの営業であった。
白く塗られた木製ドアを開け、右手の網戸を引くとソーセージ売り場、左手がレストランになっていた。
薄暗くひんやりとした店内は、テーブルが三卓ほど置かれていて、大人たちがひっそりドイツ料理を食べている。
ここで初めて「ザワーブラーデン」を食べた。
牛肉の塊肉が茶色いソースにまみれて、でんと白い皿に鎮座している。
切ろうとすると、さして力を入れることなく、ナイフが肉に入っていく。
慎重に口に運ぶと、舌の上でごろんと肉が横たわって、ほろほろと崩れた。
ソースは深く、深く、うまみがあって、ほんのり甘く、しっかりと酸っぱい。
肉の柔らかな食感とあいまって、十歳の少年を夢見心地にするには十分すぎるほどだった。
添えられた黒いライ麦パンにバターを塗って、頬の内側を刺激する酸味を噛み締めると、笑いがこみ上げてきた。
世の中にはこんなおいしいものがあるのか。
1960年代、それは異次元から来た料理そのものだった。
その後祖父に連れられて、スエヒロで皿からはみ出るステーキを食べ,赤坂飯店で大人たちが毎晩華やかに宴会している横で、肉団子に夢中となり,不ニ屋でアイスクリームを食べ、中華第一楼のシュウマイの虜となった。
こうして、普段東京では出会うことのない外食の魅力に、舞い上がっていったのである。
もしかすると、現在のタベアルキストとしての素養は、軽井沢で育まれたのかもしれない。
だが今は,デリカテッセンのレストランも赤坂飯店も、第一楼も藤屋もスエヒロもなくなった。
大人の,それも一流の大人たちの世界を垣間見ることが出来た店は、すべてなくなった。