うまいはエロい。

評論

官能的。
僕の文章はよくそう言われる。
先日ある方が書いた食べ物ガイドを読んでいたら、「最近は、食べ物や料理のことを、やたらエロいなどと書いて、勘違いをしている人がいる」といったようなことが、書かれていた。
明らかに僕である。。
反論も正当化もしない。
逆にこの方は読んでいてくれたんだと感謝をしたし、そういう意見があっても、当然だとは思う。
ただしエロい表現をすることによって、料理や食材の説明を曖昧にして言葉遊びをしていると思われていたなら、無念である。
僕は文章を書く時、二人の先駆者が残した言葉を意識し、心に銘じている。
その結果として、エロい文章となってしまったのかもしれない。

ひとりは池田晶子氏である。
「文章が説明的になったら負けと言っていいでいいでしょう。なぜって、語ろうとしているところのものが、そもわからないことなのだから。わからないことをわかったことのように説明することはできない。わからないというまさにそのことが、その言葉であるのでなければ、そんなものはウソっばちになってしまう」。

一人は小林秀雄氏で、取材ノートを新しくするたびに、背表紙にこの文章を書いている。
「優れた藝術作品は、必ず言ふに言われぬ或るものを表現してゐて、これに對しては學問上の言語も、實生活上の言葉も爲す處を知らず、僕等は止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈默は空虚ではなく感動に充ちてゐるから、何かを語らうとする衝動を抑へ難く、而も、口を開けば嘘になるといふ意識を眠らせてはならぬ」。
小林秀雄「モオツァルト」より