〈理論の負荷性〉

食べ歩き ,

〈理論の負荷性〉
「自分が食べたいと思った料理を選んではいけません」。
若い頃山本益博さんから教わった。
普通の人なら、食べたいと思う料理を選べばいい。
しかし我々のような仕事をするなら、アラカルトの中から、シェフが食べさせたい。これがスペシャリテですと発している料理を注文して、客席から厨房へ無言のメッセージを伝えなければいけないと、教わったのである。
だからメニュー選びは大変だった。
今のように,事前にネットでチェックはできない。
席に座って初めて見るメニューを見ながら,読み解くのである。
「さあどれを選ぶ?」
百戦錬磨の山本さんから尋ねられ、悩みに悩んで選んだ。
正解か不正解かはわからない。
料理が運ばれ,食べて,次第にわかっていく。
いや食べ終えてもわからない時もあった。
だがそうして、料理への理解と感性は磨かれていったのかもしれない。
あれは、食べる側も作る側以上に,責める覚悟を持たなくてはいけないという教えだったと思う。
だが今は後輩にそれを伝えようにも、大方がコースなので、できない。
最初から受け身にしかなれない。
また最近は、料理の説明が詳細に伝えられる。
料理を書かなくてはいけない我々のような職業だと,それはありがたく、さらに詳しく聞いたりもする。
だがそれでは想像力が養われない。
「菜葉を炊いたものです」とだけ言われて出される。
食べて思う。
いやこれはそれだけではないだろう。
茹で方や味付けに工夫があるのかもと,頭を巡らす。
そのことが少なくなった。
〈理論の負荷性〉という言葉があって、観察より先に理論を知ると,よりその事象が深く観察される一方、知ったつもりになって,自分の感性や、推察能力が養われないということが起きる。
コース料理と,詳細な料理の説明という流れの中で,いかに受け身にならないか,自らの想像力と感性を発揮できるか、日々悩みながら、食べている。
写真の料理は本文とは関係ありません(笑)