吉田松陰は、「心は生きている。生きているから気がそこにある。気を動かすのは旅である」というようなことを言ったが、非日常、いや別文化の日常に我々非日常が入ることによって、気が動くのだ。
旅も非日常なら、外食もまた非日常である。素晴らしき料理に気が動き、様々な意識や思索が芽生える。
クジラがフレンチに登場したのは初めてではないか。
タルタルにされた鯨に、様々なハーブや花と塩が合わされる。
草花の苦みや刺激、甘味が弾ける中で、鯨は静かに呼吸する。
アニスの香りを吸わせたヘーゼルナッツも手伝って、クジラ料理屋で出会う無骨な面とは異なり、エレガントに佇んでいる。
森の中に置かれた身を震わせる。
噛んで目を閉じ、意識を集中させると、哺乳類ならではの凛々しさがあって、それらが草花の個性と呼応する。
ああなんて勇ましく、可憐な肉だ。
鯨への感謝がじっとり滲んだ。
この料理に、レフェルヴェソンス生江シェフがつけた名は、
「文化・風習とはだれのものか」
料理とは、エンタテイメントであり、会話であり、感謝であり、人間を見つめなおすきっかけでもある。
心は生きている。生きているから気がそこにある。気を動かすのは旅である
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