焼津「馳走 西健一」

我々がまだ知らない味。

食べ歩き ,

歯が驚いている。
舌が腰を抜かしている。
今まで何度も食べたことがある魚なのに、我々がまだ知らない真実があったのか。
アジとサバである。
アジは目の前で捌かれる姿を見て、目を疑った。
大きい。
出されて言葉を失った。
魚であるのに、肉である。
グリッ、グリッ。
分厚い身に歯を立てると、音がするかのように歯がめり込んでいく。
肉を噛み切るかのような食感に、震えた。
身がただいかっているというレベルではない。
細胞がまだ生きていて、噛もうとする我々の意志の強さを試してくる。
まさしく、アジの筋肉を噛み切る感覚である。
強固なアジの肉体が、歯を迎え入れる。
グリッ、グリッ。
顎に力を入れて噛み締める。
そこに知ったるアジの旨みはない。
純粋で清い、淡いうまみだけが明かりを灯す。
だがよく噛んでいくと、口の中の温度で味が膨らんでくるではないか。
香りが高まってくるではないか。
今の時期、桜海老を食べて、最もうまいというアジの謳歌が聞こえてくる。
胃袋を見せてくれたが、ピンクの海老がみっちり詰まっていた(3番目の写真)
やがて口の中から消えると、きれいな脂がオブラートのように舌を包んだ。
「泳がせアジのいきじめ、レッドオニオンのヴィネグレット。炒った新物落花生と枝豆添え」
 
である。これがサバである。
皮目だけを炭火で炙った生のサバの切り身である。
普通のサバなら皮の焼けた香りに負けるだろう。
だがこれは違った。
まず皮下から現れる脂が清い。
甘く、切なく舌に流れてくる。
そして身は、アジと同じようにサクッと歯が入っていく。
これまた筋肉を断ち切る食感である。
おそらく海中で泳いでいるサバを食べたら、こんな食感なのではないか。
そうおもわせる命の気配に満ちている。
これもまたよく噛もう。
目を閉じよくよく噛んでいくと、鯖は味と香りを膨らまし、我々に自然の脅威を知らしめるのだった。
「泳がせ鯖備長炭炙り。粒マスタードソース、焼き茄子ピュレ トマトローストフィンガーライム」
いずれの皿も魚は生である。
いわば刺身である。
塩分も淡く、ギリギリである。
それなのに食べた瞬間、ワインが恋しくなるのが素晴らしい。
今こう書いていても、味わいが幻化していく、
ああもう一度食べてみたい。
 
焼津「馳走 西健一」