きっかけはチキンラーメンだった。
小学校2年生の時である。家に帰ると母がいなかった。テーブルの上には、袋を破ったチキンラーメンと丼、魔法瓶、メモが置かれている。
「ちょっとでかけてきます。ゆうがたにはかえるから、おやつにたべてね」。おやつが菓子ではなく、チキンラーメンだったのは、母も食い意地がはっていたせいか。
いつもはお湯をかけて2分待ち、食べていた。だがその時ふと、「このまま齧ったらどうなのだろう」と、考えたのである。
恐る恐る齧って見たら、なんともおいしい。凝縮した味に、手が止まらない。結局、三分の一ほど齧ってからお湯をかけようと思っていたのに、半分以上齧ってしまったのである。
半分になってしまったチキンラーメンの、寂しさがまたいい。もう少し食べたいのに、ない。そんな、わびしいおいしさもあるのだということにも目覚めたのである。
以来チキンラーメンは、独自の食べ方を研究した。半分は、お湯をかけて2分待ち、1分経ったところで残りを入れて、食感の違いを出す。毎回お湯の量を変えて、どれくらいがベストかを考察する。あるいは、三分の二はお湯かけて、出来上がったら硬いままの三分の一をほぐして、ふりかけるといった具合である。
お湯をかけただけで完成という、至極簡単な料理なのに、自分の工夫次第でいかようにも楽しめ、可能性が広がる。幸か不幸か小学生にして、この真実に気づいてしまったのである。
その後のカップヌードルでも様々な工夫を試み、その結実が、今回のサッポロ一番塩ラーメンにつながっていく。
世の中で当たり前だと思われていることを、一旦疑ってみる。最善の道はないだろうかと、考えあぐねる。
哲学も、化学も不得手だが、食い意地だけは人一倍負けない少年は、こうして、新たな探求の道を歩き始めたのである。
歩き始めると、「世の中には気がつかないおいしいがたくさん埋まっている」ことを知り始め、さらにはまっていった。
食べ方も同様である。誰もがなんの疑いもなく、当たり前のようにしている食べ方に疑問を持った。
以下次号