我々人間は、例え葉っぱ一枚でも、他の命を奪って自らを育んでいる。
事実は、知識や常識として頭の中にあるが、実際のところその恵みを意識する機会は少ない。
今回、浜松市天竜の「竹染」で、猪の解体を見せていただいた。
店主片桐邦雄さんは、料理人であり、猟師である。
しかし鉄砲で撃った肉はおいしくないと、罠にこだわる猟師である。
毎朝、毎朝、仕掛けた罠を見回り、かかった獲物を生きたまま、ジムニーに載せて、店まで運ぶ。
目隠しされた猪は大人しく、声も出さずに、眠っているかのようである。
そこを一突き、心の臓を刺して成仏させ、放血させるのである。
まったく血が筋肉に入り込まない肉は、きれいでさらりとし、いくらでも食べられる。
そして鮮やかな手つきで内蔵を取り出した。
湯気のたつ内蔵を見て、「食べたい」と叫べば、「じゃあ塩焼きにするか」。
レバーは牛でも豚でも、生はシコシコとした食感で、焼くとふわりとなるか、ぐにゃりとなる。また加熱すると、特有のレバー臭が出て、好みの分かれるところとなる。
しかし野生の猪は違った。焼いてもシコシコと音が立つかのようであり、匂いはないのに血の味が濃いのである。
マメ(腎臓)も特有の匂いは微塵もなく、周囲についた脂のうまいこと。
胃袋は、命の気配があって、ほの甘いがその強烈な弾力が、噛み切ることを拒絶する。
そして大腸は、豚のシロに味は近いが、あの味の緩さがなく、どこまでも凛々しいのである。
心臓、ハラミ、タン、小腸も驚きの味わいで、噛むごとに命が焚き付けられているような、勇壮な気分になる。
そこで焼酎をガバガバと飲むのだが、まったく酔わない。
どうやら猪の精気が、アルコールを腰抜けにさせてしまっている。
食べるごとに頭を垂れ、生きて横たわっていた猪の姿を偲ぶ。
手を合わせながら、僕らに出来ることといえば、「おいしい、おいしい」と喜び、体を上気させることだけである。