久留米の餃子は、一筋縄ではいかない。

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久留米の餃子は、一筋縄ではいかない。

創業53年になる「又兵衛」は、創業者はいなくなり、注文が入ると一人で皮をのし、餡を包んでいたお母さんは、焼き専門となっている。
現在皮を作るのは、シャー君とジバ君というネパールの青年で、案を包むジバ君がいい。
一個3〜4秒という手早さで、延々と包みながら、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を、腹の底から発声している。
誰かが何かを注文すると、みんなが復唱して気勢を揚げるのだが、その中でも一番声がでかく、気合が入っている。
しかも働くのが楽しそう。
「やる気のない日本人従業員に爪の垢を煎じて飲ませたい」。連れがポツリと言った。
さてその餃子だが、野菜中心の餡で、ラードで焼いていることで、皮はカリッといつまでも熱々である。
こんなにあっても最後まで出来立ての感覚で食べることができ、軽いので瞬く間になくなってしまう。
20代前半の韓国人女性が、一口食べて「おいしいっ」と笑顔で言い、「ありがとうございます」と、すかさず流暢な日本語でジバ君が応える。
不思議な光景があった。
いっぽう、創業63年の「娘娘」も一筋縄ではいかない。
切り守るのは、お母さんと息子で、餃子を作るのはお母さんである。
こちらも作り置きはぜず、常に作っている。
そのアンの包み方が面白い。
作った皮にアンを入れると、右手で一回閉じ、それを左の手の甲に乗せてくるりと転がすようにしてまとめるのである。
「又兵衛」より、皮ムチっとしていて、練り肉主体のアンとよくあう。
食べるときは、餃子のタレに微塵のニラとゴマをどっさり入れ、餃子の襞のくぼみで、ニラとゴマをすくい取るようにして食べる。
これもまたこの大量の餃子が瞬く間になくなるのであった。
鳩山邦夫のボトルがなぜかある。
おそるべしタイプのまったく違う久留米餃子。
次回は、休みだった「五十番」に行きたいな。