ご飯を食べるたびに、時々怒る。
外食するたびに、時々憤慨する。
年のせいか、と思ったがそうではないらしい。
失恋のせいかとも思ったが、失恋以前に恋愛をしていない。
圧縮音源の聞きすぎで、セロトニン神経系が不足しているのか、と思ったが、これは怒りではなくうつ病のほうであった。
怒る理由はある。
しかも以前より、多発傾向にある。
ご飯がまずくて怒る。
これはない。
まずいことはおいしいネタであり、精神を太くしてくれる良き機会なのである。
サービスが悪くて怒る。
これはままある。
しかし怒るのは、サービスする人ではなく、自分にである。
適切ではないサービスに対して、毅然と、的確に、指摘できない自分に怒る。
昔ある年配の方と朝食をとった。
彼が頼んだのは半熟ゆで卵である。
一流ホテルであったが、出されたそれは、半熟以前のゆで卵だった。
彼はクレームを入れた。
何分茹でたのか。
分数が正しかったのなら、室温に戻さず茹でたのかなどなど。
サービスの方は、ひたすら謝る。
「すいません。大変失礼しました」を、繰り返す。
それに対して一言。
「すいません、失礼しますは、的確ではありません。謝罪の後に、もしよろしければ、もう一度我々にチャンスをいただけないでしょうか、と言いそえる。それがサービスではないのでしょうか」と。
なかなか言えない言葉である。
さらに彼は言った。
「もしクレームをつけたら、もう一度行きなさい。是正されているかどうか、確認しにいきなさい。クレームという火をつけたのだから、消火されているかどうかを見るのも、責任です。言い放し、放火だけしてほったらかしではいけません」。
最近は、ネットでの放火をたまに見かける。
けんか売ったのなら、買いに来いよ。
店はそういいたいだろう。
さてボクが怒る理由は、他の客に対してある。
大声でしゃべったり、薀蓄たれたり、他店の悪口言ったり、音を立てて食べたり、携帯で話したり、店の人間をニックネームで呼びたがったり、店員を独占したがったり、人前でいちゃいちゃしたりしている人たちに、こっそり何も言わずに怒る。
しかしそれよりも、食べ方が気になって気になって怒っちゃうのである。
立ち上がり、歩み寄って、
「君、食べ方がなっていない!」と、怒る。
白洲次郎ならそうしたかもしれない。
そうできたら格好いいと思うが、小心者なので、一人心の中で歯軋りを立てる。
見なきゃいいのに、隣の客の食べ方を見て、額に青筋を立てている。
余計なお世話、いらぬお節介だと言うことはわかっている。
自分に迷惑がかかっていないことも、わかっている。
もし同じことを愛人がしていたら、全然許しちゃうことも、わかっている(惜しむらくは、愛人がいないが)。
先日もある高級洋食屋で、こんな場面に出くわした。
ビーフカレーがメインのコースを頼むと、隣の男性二人客も同じ注文をした。
二人ともテーブルにパソコンを出して、いじり始める。
スープが来ても、コロッケが来ても、いじりながら食べている。
それほど火急な仕事があるなら、なぜこんな高級洋食屋に来たのだろう。
ここは、れっきとした大人の社交場である。
直ちにその機械を仕舞え! 顔を洗って出直して来い! と、言いたかったが、ボクは白洲次郎ではない。
頭の中だけで怒鳴る。
そしてカレーがきた。
あろうことか、最初にソースポット(グレイビーボート)に入ったカレーソースを残全部かけるではないか。
かけ方もだらしない。
ソースレードルを、ご飯の上で何度も振って、しずくを落としている。
全部ソースをかけたら、ポットに入れて運ばれた意味が無いだろう。
表面積が増えて、冷えちゃうぞ。
カレーソースを少しずつかけながら、ご飯と軽くまぶして食べてみる。
次に、満遍なくまぶして食べる。
あるいは、具の牛肉を一口食べて、カレーのかかってないご飯を食べる。
たまには、カレーソースだけを口に入れて味わい、その余韻でご飯を食べる。
ソースレードルにこびりついたカレーソースは、スプーンで丁寧にぬぐう。
それが常識である。
君たちはそんな常識を、小学校の家庭科で習わなかったのかい(教えていないか)。
損をしているのは、誰でもない、あなた自身なのですよ。
さあ楽しんでくださいと運ばれてきたカレーを、あなた自身の手によって、牢獄に入れたんですよ。
もちろん他の客の迷惑となっているのではない。
こちらにも迷惑はかかってはいない。
気にしているのは、気が小さい僕だけです。
だいたいにおいて、他人の食べ方をいちいち覗き見する奴はいないし、彼は、色々食べ方を試した結果、この食べ方に落ち着いたのかもしれない。
カレーが冷めていく過程に、喜びを覚える性格なのかもしれない。
自分自身は存分にカレーを楽しみながら、人のことが気になってしょうがない。
僕は、やはり相当変だ。
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