ピアノは、静かに歩き始めた。
最初は、束縛から離れた喜びで、軽やかに跳ね、舞う。
やがて森に分け入り、辺りをうかがうように、逡巡しながら進んでいく。
時に柔らかな月光に照らされて輝き、時に森の闇に身を沈めながら、歩みを進めていく。
樹々から抜けて、開けた小さな草むらに出たのだろうか。
子供がオモチャのピアノに初めて触れたかのような、拙い、無邪気な自由を歌いだす。
そうかと思えば、老練なピアニストが弾く、流麗なせせらぎを紡ぎ出す。
どちらも限りなく自由で、人間が弾いているのに、天に解き放たれていた。
再び森の奥へと進むと、寝静まった木々の息づかいの中で慎重に、一歩一歩と踏み出す足音が、微かに聞こえてくる。
記憶は甘くもつれ、やがて繰り返しながら自己へと意識を向けさせ、内なる眠っていた感情を起こす。
それは一気に熱を帯びて、たぎるが、その頂点で突然、曲は終わりを告げた。
一瞬無音となり、しばらくして、皆我に返ったように拍手をする。
余韻が、甘美な余韻が、心の中で波打っている。
しばらくして、彼女は別のピアノに移り、二曲目を奏で始めた。
世のあらゆる縛りから、解き放たれて、天高く登る音は妖精か。
はたまた悪鬼なのか。その両方なのか。
「快楽と嫌悪は表裏一体」という言葉を思い出した。
絶対的でありながら、揺れ動き、うつろいやすい世界への希望と不安がない交ぜとなる。
葛藤、焦り、ジレンマ、嫉妬が渦巻いたかと思えば、気高い光が天空から降り注ぐ。
彼女の心の音が、サロンにあまねく響き渡り、聞く者をすっぽりと包み込む。
我々の無意識の中にある、生々しい感情に触れてくる。
内にたゆたう心の混乱は、やがて少しずつ安寧を見出し、耽美な調べへと移行していく。
そして透明になる。
水の中の空気のように、消えて、消えて、曲はいつの間にか終わった。
演奏に向かう時の彼女の目を見て、鳥肌が立った。
精気が宿っている。
周囲は見えずに、自分を律して高みに登ろうとする、厳しい意志に燃えていた。
修羅の目である。
そして今演奏を終わって、微笑む彼女の目を見た。
すべてを包み込む穏やかさが、瞳の奥底で息づいている。
それは観音の目であった。
銀座の「エルメスサロン」行われた、ピアニスト向井山朋子氏の演奏に触れて。