<食べることは殺すことから始まるVOL1>

食べ歩き ,

食べるという行為は、殺すことから始まる。

動物や植物という他の生物の命を絶って、我々人間は生き延びている。

しかし現代においてこの摂理は、直裁的に感じられることはない。

先日初めて間近で、牛が屠られ、解体されるのを見せていただいた。

映像では見たことがあるが、至近距離で見せていただいたのは初めてである。

場所は、近代的設備が整えられた滋賀食肉センターであった。

(ここから先は、直接的表現が続きますので、気が弱い方はパスしてください)

 

牛は、通路から鼻輪を引っ張られて、狭い場所へと入ってくる。

その表情を見る限り、まったく切羽詰まった緊張も、悲壮感も焦りもなく、鳴くことも暴れることもなく、淡々と狭い場所に追いやられているように感じた。

「バンッ」。

突然大きな音が響いて、牛の眉間にショックが与えられ、一瞬にして牛は気絶する。

気を失った牛は、下へ滑り落ち、ベテランの職人が首を切って放血し、気管をつまむ。

気絶はしているが、生体反応で、もがくように脚が動く。

この最初の放血が、すべての作業の中で最も難しく、正確な技と速度を必要する。

やられている方は65歳で、18歳の時からこの仕事をやられているのだという。

放血し、足から吊り下げられる牛の内容物が出ないように気管をつまみ、顔の皮を剥ぐ。

その間1分もかからない。

無駄なく、素早く仕事を終える。

職人である。

誰も知ることのない、表舞台に出ることもない職人である。

しかし、この方や全国にいる名の知られていない職人が、我々の食を豊かにし、幸せを運んできている。

 

この方だけでない。

脚先切断、背割り、内臓摘出、ハラミなど切断、皮除去、舌切断、余分な筋などの除去、頭切断、検疫、内臓処理など、鮮やかな手つきで作業を行う10数人の男女の方々の手を経て、ようやく枝肉となる。

僕は心の中で、その方々と牛に手を合わせながら、逆さ吊りにされながら流れゆき、解体されていく牛を見させていだいた。

以下次号