僕は、ビッコをひいている。

僕は、ビッコをひいている。
初めて合う方には、「足どうなされましたか?」と、必ず聞かれる。
大抵の人は、「通風」と判断されるようだが、あいにく幸いにして、通風のかけらもない。
大学時代の脱臼と、社会人になってテニスでの怪我が悪化したのである。
手術で治る可能性は少なく、人工関節を入れるしかないと医者より言われた。
当面の対策としては、足の筋肉強化と体重の減少しかない。
前者はともかく、後者は職業上大変難しい。
だがようやく状況をなんとか改善すべく、鹿児島に向かった。
鹿児島駅から車で40分南に走らせた五位野に、知る人ぞ知るという名治療院があると聞いたからである。
「こりゃひどいね」。白髪の名医は一眼立ち姿を見ただけでそう言われた。
ちょっと背中を触って、「これは亀だね」。「は?」「甲羅背負っとる」。
それから一時間半、揉みに、揉まれた。
そして僕は知ったのである。
「激痛」の上に、「気絶痛」というものがあることを。
例えば指圧されて「イタタ」というのは、まだ「弱痛」である。
普通の場合、「痛いですか? ではもっと弱くしましょう」というのだがここはない。
さらに強く押して、「ギャー。もうやめてください」となる。
しかしその上の痛みがある。
右膝の皿が全く動いてないことを発見した先生は、それを動かすべく、周りの筋を押して柔軟にし(その時も気絶しかかったのだが)、そしていよいよ皿と皿にくっついている筋を剥がしにかかった。
あまりの痛みに声が出ない。
押されていない左足が伸びきり、手はシーツをつかみながら、意識が次第に遠のきそうになっていく。
脂汗が全身から噴出する。
それでもなんとか気を保って、終わった。
「気絶しそうでした」。というと、「気絶しとらんから、まだ先があるわ」と、先生は笑った。
まだこの先の痛みがあるんか。
「人生六十年生きてきて、至高の痛みでした。これは一種の拷問ですね」というと、
「まあ拷問は、気絶するからこれより激しいけどな」と、平然と言い放つ先生が怖い。
「牧元さんは痛みに強いね。普通はもっと逃げ回ったり、叫んだりするやがな」というので
「いくら褒められても、痛いものは痛い。安らぐわけではありません」と返したら、大笑いしとった。
しかしおかげで、皿は動いた。
傾いていた体は元に戻り、人から「足どうなされましたか?」と言われない程度の、微かなビッコになった。
おそるべし、治療院である。