~人の輪がつながる酒屋~

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~人の輪がつながる酒屋~
300年続く伝統蔵「富沢酒造」の一家は、今夏、アメリカに渡る。
大手の酒造以外では初めて、海外での日本酒造りに挑戦するのである。
当主富沢周平60歳杜氏、妻61歳杜氏、息子31歳杜氏、娘30歳営業広報担当の4人は、英語ができるわけではない。アメリカの市場に詳しいわけでもない。
しかしシアトルに渡り、銘酒純米「白富士」を造るという。
彼らの蔵は、福島原発から3.5㌔の双葉町にあった。
手に持てるだけの酒を持って避難したが、やがて蔵のある場所は、警戒区域となり立ち入り禁止となる。
国と幾度も交渉して、なんとか蔵に戻ることができ、麹菌と酵母を持ちだすことができた。
奇跡的に1本だけ菌が生きていた。しかも密閉した部屋にあったためか、放射能が検出されない。
もう一度酒造りができる。廃人同然だった当主と妻の眼に輝きが戻った。
他県で廃業した蔵などをあたり、なんとか酒が造れる未来が見えてくる。
しかし契約寸前までいきながら、酒税法の高い壁が立ちはだかった。
「市場をみだらに荒してはいけない」。明治時代に創立された酒税法には、そんな決まりがある。
「他県で造ってもいいが、売るのは双葉町にしてください」。
人口ゼロの街でダレに売れというのか。
再び当主と妻の目から光が消えていく。
しかし子供たちが、思わぬきっかけをつかんだのである。
紆余曲折があり(この辺りはまた今度)、結果として、シアトルで無農薬の米を使い、酒造りをすることとなった。
場所選び、ビザ、住居、酒造免許、資金集め、日本からの機材の輸入等々様々な問題があっただろう。またこれからも多くの問題があろう。
富沢周平は言う。
「シアトルは、秋を、春を感じる街でした。まるで故郷を見ているようで、鮭が登る川を見ていて、自然と涙が溢れました」。
「でも、最終的に決断したのは、日系人の皆さんの『俺たちの、自分たちの地酒になってくれませんか』という言葉でした」。
最期に「どんな酒を造りたいですか?」と聞いてみた。
川村さんは照れ笑いするような顔しながら、一瞬黙り、絞り出すように口を開いた。
「人の輪がつながる酒屋になりたいと思っています」。