マヨラーの悦楽。

寄稿記事 ,

長い間、秘密にしていることがある。

実はカツラである。

パフュームのファンクラブに入っている。

年金を払っていない。

実はウルトラマンである。

というようなことではない。実はマヨネーズが好物なのである。

「なんだそんなことか」と、今、思ったあなた、ちょっと待ってください。僕にとっては、大変深刻な問題なのである。

まず第一に、タベアルキストと名乗る以上、特定の調味料に肩入れは出来ない。

次に、カロリーが高い。コレステロールも高い(だからおいしいんだけどね)。

ケチャップほどではないにせよ、味の強要性があって、料理の味を引き立てるというより、マヨネーズ寄りの味にしてしまう。

それゆえに、美食を重ねてきた人は、マヨネーズなど歯牙にもかけてはいけない、という世の定説がある。

実際我が家には、美食家や著名人の書いた数多くの食エッセイの本があるが、マヨネーズの記載は、一冊も見当たらない。

さらには、マヨネーズを使用した料理に、すぐ相好を崩しちゃうような奴は、味覚や嗜好がお子ちゃまだという風潮もある。

だから隠し通していた。

 

だが五十半ばに近づくと、もうそんなことはどうでもいいやと思うもんである。

なによりあの姿が愛らしい。

色白の肌をほんのり淡い黄色で染めた表情には、乙女の恥じらいがある。

チューブの銀紙をはがし、初めて絞り出す瞬間。固く閉まった丸いビンのふたを開け、手付かずのマヨネーズを目にした瞬間。そしてその、人跡未踏の表面に、初めてスプーンを差し入れる瞬間。

コーフンしませんか。しますよねえ。

これがケチャップだとそうはならない。絞り出してみると、「ほら食べな」と、投げやりであったり、「どうだ、俺の味は強いぞ」と、妙に自信過剰であったりする。

マヨネーズも味は強いのだが、身の程をわきまえているというか、「私、味がケッコウ濃いんですけど」と、自分の中に潜む下品に顔を赤らめている節がある。

だから、

「よろしかったら使ってみませんか」という姿勢で、にゅうっと出てくるのである。

使い手の自主性にゆだね、三つ指をついて、深々と頭を下げているのだ。三歩下がって師の影を踏んでいないのだ(ちょっとわからなくなってきました)。

その愛おしさゆえに、オムレツやホットドックにかけられているケチャップは、ぬぐって皿の隅に非難させるが、たこ焼きにかけられているマヨネーズは、余すことなく食べてしまうのである。

 

銀座「煉瓦亭」で、料理の前にトマトやセロリのサラダを頼むのは、ダイエットのためではなく、たっぷり添えられる自家製マヨネーズでハイボールをやりたいからである。

外で食べるときは、お好み焼きにマヨネーズをかける人をバカにするが、自宅では、辛子入りマヨネーズをたっぷりつけて、妻にあきれられている。

もちろん、ペヤングソース焼きそばや一平ちゃんにもマヨネーズは欠かせなく、そうでないと、下品の迫力に欠けると信じている。

焼いたあたりめにも、七味をふったマヨネーズが欠かせない。あれをつけなきゃ、演歌は流れないと信じている。

中野のトリスバー、「ブリッツ」(閉店)では、マヨネーズの利いた「マカロニサラダ」を必ず頼む。

人形町「キラク」では、マカロニサラダを大盛りにして、ポークソテーの醤油バターにんにく風味ソースとマヨネーズが交わることに、喜びを見出す。

さらにはなにを隠そう(隠しても誰も気にしないが)、僕は「ポテサラ研究家」でもある。

各所での長年に渡る研究継続も、マヨネーズ好きという原動力があるからに他ならない。

胡瓜サンドはバターだけだが、ハムサンドには欠かせない。トマトサンドや茹で玉子サンドにも欠かせない。

 

サンドイッチとマヨネーズといえば、忘れられない事件がある

中学の頃、ほぐした鮭缶とマヨネーズを混ぜ、そこに玉葱の微塵を加えてサンドにするのが好きで、母によく作ってもらっていた。
弁当にも持っていったが、やはり出来立てとは味が異なる。
そこで母に頼み、鮭缶、タッパーに入った玉ねぎみじん、パン、マヨネーズを用意してもらい、出来立てを食べる作戦に出た。

教室でギコギコ缶詰を開ける、鮭缶の水を切り、玉ねぎの微塵を入ったタッパーに入れ、マヨネーズを搾り出して混ぜ、「うんもう少しかな」と味見しながら足し、しかる後にパンに挟んでかぶりついた。

やはり出来立てが、おいしい。
噛み口に、さらにマヨネーズを絞るのもいい。
おいしいなあと目を閉じ、目を開けると、一連の作業を見ていた先生が言う。
「お前は、学校へなにをしに来てるんだ」。
片手にサンド、片手にマヨネーズを握り締めた少年は、石になった。

しかしあそこでもし褒められてたら、料理人になっていたかもしれない。

マヨネーズ嗜好を決定づけたのは、中学時代の合宿であった。
与えられたおかずだけではもの足りず、常に缶詰を副食としていた若者にとって、マヨネーズは欠かせぬご飯促進剤だった。
大和煮、コンビーフ、ウィンナーソーセージ。

肉の定番缶詰にマヨーネーズを絞ると、ご飯が進む、進む。
そうして彼は、一気にマヨネーズ街道を突っ走っていくのであった。

酸味という品に隠された甘味と油のコクが、缶詰肉料理の旨みをふくらます。

油と甘味という、本来人間が摂取せんと求める養分が、本能をダイレクトに捕らえる。
そんなマヨネーズの陰謀を知り、安易にこの味に落ちてはいけないと、冷静に判断する自分と、たまには堕落もいいもんだぞと囁く、別の自分もいる。
このアンチノミーというか、ジレンマというか、自家撞着の葛藤が快感なのである。

二律背反の中で、危うくバランスをとろうとする心の内側で、サゾとマゾがせめぎ合う矛盾に、無上の楽しみがある(またワケがわからなくなってきました)。

それゆえに、いくら好きだとはいっても、マヨラーにはなれない。

香取慎吾になれない。
ご飯にかけることも、納豆や豆腐、うどんやカレー、餃子やホットケーキにかけることもしない。マヨネーズチューブから直接吸って食べることもしない自信がある(たぶん)。
中野の某すし屋で、名物だという海老の巻き寿司を頼んだら、マヨネーズがたっぷりつけられていて、キレかけたことも。
いくら好きでも乱暴は許せない。

それは普段の生活の中で、マヨネーズを少しずつ使い、小さな幸せといおうか、プチ堕落を味わうことに喜びを感じているからである。
ハムにつけることはあっても、ハムエッグにはつけない。

茹でたジャガイモにはつけても、フライドポテトにはつけない。

茹で卵につけても、玉子焼きにはつけない。
そこには厳正なルールがあって、断じて一線を越えようとはしない保守的な自分がいる。
マヨネーズは好きだけど、万に一にも身はゆだねないぞという、頑な自分がいる。

しかし世の料理人は、その硬い殻をぶち割るべく、虎視眈々と狙ってくる。
大学時代に、初めて「モスバーガー」を食べたとき、その甘辛いソースやレタスの食感より、マヨネーズ味とパティの出会いに感動している自分に気づき、胸が高まった。
マヨネーズを油代わりにして、ジャガイモの細切りを炒め、浅葱をふった、今はなき成城学園「登喜」の料理は、すぐに我が家の定番料理となった。
ひき肉とほうれん草を炒め、マヨネーズを載せた、大阪神山町「くりやん」の「ポパイ丼」(キャベ丼、ピー丼もよし)も、マヨなくして成り立たぬうまみの沼に、ただただ力なく沈んでいくしかできなかった。
またはイカの刺身と大根おろしにポン酢、そしてマヨネーズを合わせた、大阪福島「炭味屋」の「剣先イカのマヨネーズ大根」は、大阪に出向くと無性に食べたくなるほど、はまった。
恐る恐る食べた大阪「剛力」の「マヨネーズラーメン」閉店は、野菜の甘味や辛味が巧み隠されていて、麺をすすりながら、笑いが止まらぬ自分が怖くなった(それにしても大阪の人はマヨ好きなのね)。
こうしてマヨネーズ料理は、体を侵略してくる。

精神のバランスを崩そうと画策する。
かつて立川にマヨネーズ料理専門店があって、行こうと思ったが考えるだけで恐ろしくなった。自分が崩壊しそうで足を運べないでいた。

ある日閉店の噂を聞き、申し訳ないが、ほっと胸をなでおろす自分がいた。