<おいしい散歩道vol1>中野ふれあいロードは昭和の匂い。

食都東京には幾多のおいしい通りや路地がある。そいつらを片っ端から踏破してみよう、というのが本コラムの趣旨である。
そこで第一回は、生まれ育った中野を紹介しようと思い立った。だがはたと困った。
中途半端なのである。ちょいと電車に乗れば新宿という繁華街にも行けるし、街のサイズが半端にでかく、「自分は中野にいるんだぁ」と思わせる独自の文化性も希薄なのである。 そんなところを頭に入れながら北口に降りてほしい。なぜ北口かといえば、中野唯一の個性、ふれあいロードがあるからである。
まずは駅前の立ち食いそば「かさい」(ここのわかめそばはいい)脇の路地を入って、ラーメン屋「平凡」(閉店)に行こう。
現代の人気ラーメンと違い、堂々の旨味調味料入り。しかし柚子片が浮かぶ薄口醤油を使った淡い色のスープに縮れ麺がからむと、平凡な幸せが、じわりとにじりよる。
次に近くの昭和三十九年創業のトリスバーの「ブリック」(閉店 別業態)に向かおう。一杯三百円のトリスハイを飲みながら、マカロニサラダをつまみにして、人のいいバーテンダーと会話する時間の楽しいこと。
平凡でラーメンを食べ、武蔵野ホールで仁侠映画を見、ブリックで酒を飲む。古き良き風情に浸る、第一の昭和コースである。
ブリックを出て右折すると、そこはふれあいロード。南北に三百メートル程伸びた飲食街である。ロードといっても幅は四メートル弱。肩と肩が触れ合う道なのである。
長蛇の列を作る人気ラーメン店青葉を横目に、五十メートルほど進むとあるのが、第二の昭和ゾーン、新仲見世商店街である。
商店街といっても五十平方メートルほどの一帯で、戦後に区画整理が行われなかったせいで路地が入り組み、どこが新なの、どこが仲見世なのと突っ込みを入れたくなる、昭和初期の趣がぷんぷん匂う飲食街だ。
入ってすぐ左手が老舗格の武蔵野そば処。石臼挽き自家製そば粉でなきゃというそば通には縁がない店だが、武蔵野の中心地ゆえに「中野」と命名された由来をかみ締めるのはこの店でなきゃいけない。
その先には肉ゾーンが広がる。牛串やレバーがうまい枡屋(閉店、肝、ひれ、えりと鰻の各部位を串焼にする川二郎、ホルモンのやみつき商店、ジンギスカンの神居古潭(閉店)と、肉好きを魅了する危険地帯である。
肉ゾーンの正面、奥まった場所に怪しげなワールド会館なる雑居ビルがある。入るのをためらわせる昔日の風格は、一見の価値あり。 

さて第三の昭和ゾーンは、さらに北上して薬局脇の袋小路にある。昼なお暗い魔界のような路地に、店がひしめいているのだ。
脇にそびえ立つブロードウェイは、設立時(昭和四十一年)には最先端のビルだった。なにしろ沢田研二や青島幸雄が住んでいたくらいだ。昭和の六本木ヒルズである。
しかしこの一帯だけは、戦後の面影を残したままひっそりと息づいている。若かりしころの野坂昭如や五木博之が出没したというスナックもこの辺りで、やってるの?と思わせる、時代が染みた店が軒を連ねている。。
例えばその一軒の「松露」(閉店)で、お茶漬を食べながら、店主のおばあちゃんに昔話を聞く。その話には、ブロードウェイという華の影で生き抜いてきた、したたかさがある。
それは新宿の影で地道に生きてきた、中野という町の性格にもつながっているのである。

 

 

 

 


南口にも、極めて質の高い魚をそろえる魚道場明石(予算一万円、昼のいわしたたき飯九百円もおすすめ)、つけめん発祥の地大勝軒(スペシャル七百五十円をぜひ)。小さくて香ばしく、食べだすと止まらなくなる大坂風餃子のぎょうざ菜館といった店をおすすめしたい。