インドで考えた④

日記 ,

インドで考えた④
デリーの銀座、コンノートを一人で歩いていたら、いきなり手をつかまれた。
いや、手が包まれたといった方がいい。
ふわりと柔らかく、滑らかで、生暖かい感触が、そこにあった。
見ると、6歳位の男の子が僕の小指と薬指を懸命に握っている。
宙に差し出した片方の手は天を向いて、小刻みに揺れている。
神の子だ。
服はぼろぼろで、顔は泥だらけだが、6歳のあどけない顔は愛くるしい。
目があった時、なぜか体がすくんだ。
つぶらな瞳に、絶望が宿っているのだ。
いや絶望は、日本人としての一方的な感情かもしれない。
冷静に考えれば、絶望ではない。
表情がないのだ。
僕を見つめているというより、虚空を見ている。
子供らしい、好奇心や無邪気がどこにもない。
それを潜在的に感じ取って、恐怖を感じたのだ。
その後神の子には数多くあった。
乳児を抱きかかえた、6歳くらいの女の子もいた。
老婆や、足や手のない老人も、いた。
皆、一応に表情がなく、僕はなすすべもない。
お金をあげると際限がないといわれた。
際限なく人も湧いてくるから、とも言われた。
恐らく彼らを差配している、成人や青年の神の子はついぞ見かけなかった。
物乞いをしている神の子の横で、同世代の女の子が制服を着て学校に向かう。
平然と普通に、無為に流れゆくデリーの混沌に、めまいがした。